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星野JAPANの敗因は星野監督の練習試合拒否

星野続投反対!!

〜シリーズ「北京五輪」(4)〜

Originally written: Aug. 31, 2008(mail版)■星野続投反対!!〜週刊アカシックレコード080831 ■
Second update: Aug. 31, 2008(Web版)
Third update: Sept. 04, 2008(Web版)

■星野続投反対!!〜週刊アカシックレコード080831■
北京五輪野球日本代表の星野仙一監督は、五輪開幕前、日本をライバル国のチームに対して圧倒的に有利な立場に置くことのできる機会を得られたにもかかわらず、自らそれを放棄した結果、逆に不利になり、メダルをのがして、4位に終わった。
■星野続投反対!!〜シリーズ「北京五輪」(4)■

■星野続投反対!!〜シリーズ「北京五輪」(4)■
【小誌2007年2月22日「北朝鮮の北〜シリーズ『中朝開戦』(1)」は → こちら
【小誌2007年3月1日「脱北者のウソ〜シリーズ『中朝開戦』(2)」は → こちら
【小誌2007年3月8日「戦時統制権の謎〜シリーズ『中朝開戦』(3)」は → こちら
【小誌2007年3月18日「すでに死亡〜日本人拉致被害者情報の隠蔽」は → こちら
【小誌2007年4月14日「国連事務総長の謎〜シリーズ『中朝開戦』(4)」は → こちら
【小誌2007年5月14日「罠に落ちた中国〜シリーズ『中朝開戦』(5)」は → こちら
【小誌2007年5月21日「中国の『油断』〜シリーズ『中朝開戦』(6)」は → こちら
【小誌2007年6月7日「米民主党『慰安婦決議案』の謎〜安倍晋三 vs. 米民主党〜シリーズ『中朝開戦』(7)」は → こちら
【小誌2007年6月14日「朝鮮総連本部の謎〜安倍晋三 vs. 福田康夫 vs. 中国〜シリーズ『中朝開戦』(8)」は → こちら
【小誌2007年7月3日「『ニセ遺骨』鑑定はニセ?〜シリーズ『日本人拉致被害者情報の隠蔽』(2)」は → こちら
【小誌2007年9月13日「安倍首相退陣前倒しの深層〜開戦前倒し?〜シリーズ『中朝開戦』(9)」は → こちら
【小誌2007年10月6日「拉致問題依存症〜安倍晋三前首相退陣の再検証」は → こちら
【小誌2007年10月22日「軽蔑しても同盟〜シリーズ『中朝開戦』(11)」は → こちら
【小誌2007年11月16日「先に『小連立』工作が失敗〜自民党と民主党の『大連立政権構想』急浮上のウラ」は → こちら
【小誌2007年12月21日「大賞受賞御礼〜メルマ!ガ オブ ザ イヤー 2007」は臨時増刊なのでWeb版はありませんが → こちら
【小誌2008年2月1日「ヒラリー大統領〜2008年米大統領選」は → こちら
【小誌2008年2月18日「毒餃子事件の犯人〜チャイナフリー作戦〜シリーズ『中朝開戦』(12)」は → こちら
【小誌2008年3月6日「中朝山岳国境〜シリーズ『中朝開戦』(13)」は → こちら
【小誌2008年3月17日「女は女を理解できない?〜朝ドラ視聴率低迷の意外な理由」は → こちら
【小誌2008年3月31日「謎の愛読書群〜シリーズ『ロス疑惑』(1)」は臨時増刊なのでWeb版はありませんが → こちら
【小誌2008年4月1日「拝啓 三浦和義様〜シリーズ『ロス疑惑』(2)」は臨時増刊なのでWeb版はありません。】
【小誌2008年4月25日「捏造政局〜『支持率低下で福田政権崩壊』報道のウソ」は → こちら
【小誌2008年5月26日「媚日派胡錦濤〜『福田康夫は親中派』報道のデタラメ」は → こちら
【小誌2008年6月30日「機密宣伝文書?〜『対北朝鮮・中国機密ファイル』の撃」は → こちら
【小誌2008年7月7日「星野JAPAN 1.1〜シリーズ『北京五輪』(1)」は → こちら
【小誌2008年7月28日「謎のウィルス感染〜シリーズ『北京五輪』(2)」は → こちら
【前回「イ・スンヨプの謎〜シリーズ『北京五輪』(3)」は → こちら

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北京五輪野球日本代表の星野仙一監督は、五輪開幕前、日本をライバル国のチームに対して圧倒的に有利な立場に置くことのできる機会を得られたにもかかわらず、自らそれを放棄した結果、逆に不利になり、メダルをのがして、4位に終わった。

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星野仙一監督率いる北京五輪野球日本代表(小誌の呼称で「星野JAPAN 1.1」)は、五輪本大会にはいってから、一次(予選)リーグ(L)4勝3敗で4位、決勝トーナメント(T)では2連敗で4位に終わった。

星野JAPANは、実は2つある。小誌では2007年の北京五輪アジア地区予選に登場したほうをバージョン1.0、2008年の五輪本大会に登場したほうをバージョン1.1と呼んで区別している。

なぜ1.0と1.1であって、1.0と2.0と言わないのかというと、メンバーがほとんど同じだからだ。1.1にいて、1.0にいなかった選手は24人中たったの5人しかいない。

筆者は、五輪本大会の「星野JAPAN 1.1」の戦いをTV観戦しながら、8か月前の「星野JAPAN 1.0」を思い出していたのだが、両者を比較してみて、非常に不思議な感じがした。

1.0と1.1は監督、コーチ、スコアラーはまったく同じ、選手もほとんど同じ、対戦相手も2か国は同じ、審判もだいたい同じなのに、1.0は打線のつながりがよく、エラーが少なく、監督も選手も審判の判定に一切抗議をしない、非常に完成度の高いチームであり、逆に1.1は打線のつながりが悪く、エラーが頻発し、監督や選手が頻繁に審判の判定への不満をあらわにする、完成度の低いチームだったからだ。

それぞれに象徴的な場面がある。

「1.0」は対台湾戦の七回表無死一塁、「1-2」と日本が1点リードされている場面だったので、七番打者の稲葉篤紀(北海道日本ハムファイターズ)は当然バントで一塁走者を二塁に進めて「まず同点」を狙うと考えられた。
ところが、左打者の稲葉は台湾の右投手、ヤン・ジェンフゥ(陽建福)の球を、まったくバントの構えもせずに強振して右前安打を放ち、無死一、二塁とチャンスを広げる(これは、星野JAPANのスコアラーが対戦相手の特徴を完全に把握していて「この投手なら稲葉はヒットを打てる」と断定した結果だろう)。
続く八番打者の里崎智也(千葉ロッテマリーンズ)はバントをしたが、打球は投手の正面にころがってしまった。陽建福はこれを捕球して三塁に送球したが、日本の二塁走者に代走ではいっていた宮本慎也(東京ヤクルトスワローズ)が台湾の三塁手の足首を狙ってスライディングし、転倒させたため、里崎のバントミスでついえかけた日本のチャンスは逆に広がり、無死満塁の絶好機になった。
そして、続く九番打者、サブロー(ロッテ)に打順がまわると星野は完全に相手の裏をかいてサブローにスクイズをさせ、同点にする。
あとは、完全に日本ペースで、同点にして心の余裕のできた日本打線は台湾投手陣に次々に襲い掛かり、この回だけで合計6点を奪って、結局「10-2」で大勝した。
この七回表の攻撃は、このチームが、データの収集、分析から選手間の連携、機動力(走塁、スクイズ)まで完璧に出来上がったチームであることを示している(アジア地区予選中、日本の盗塁は3つ。日本の失策はフィリピン戦の1つだけ。五輪本大会出場権を争ううえで重要な韓国戦、台湾戦のエラーはなし。全日本野球会議Web 2007年12月3日「アジア野球選手権2007(北京オリンピックアジア予選)試合結果」)。
この試合に勝った結果、日本はアジア予選最終Lで3勝0敗で1位になって、北京五輪本大会出場を決めたが、この予選はフィリピン、タイなど、(北京五輪開催国の中国を除く)アジアのすべての野球国が(一次Lに)参加した「アジア野球選手権」でもある。サッカーのアジアカップ(アジア杯)と同じ「カップ戦」であり、星野はそれに全勝優勝したのである。
この瞬間、事前にささやかれていた「星野は日本シリーズで優勝したことがないから、(五輪のような)短期決戦に向かない」という批判は払拭されたと筆者は考えた。

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【日本シリーズなどというのは、しょせん、明るい照明、イレギュラーバウンドのないグランド、優秀な審判の安定したストライクゾーン、よく知られた対戦相手、というラクな条件のもとで行われる、おんば日傘の「国内試合」にすぎないのだから、そんなもので優勝した経験など、国際試合ではまったく役に立つまい。「星野は日本シリーズで優勝していないから…」などという批判こそまさしく、国際試合のなんたるかを知らない、2008年現在60歳以上の「ナイターでビール」世代の言いぐさだ(小誌2008年7月7日「星野JAPAN 1.1〜シリーズ『北京五輪』(1)」)。】

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ところが、これが「1.1」になると、なさけないほど打線のつながらない、機動力の使えない、選手間の連携の悪いチームになってしまう(9試合で7盗塁したが、エラーは6つもあった。全日本野球会議Web 2008年8月23日「北京五輪 日本代表選手成績」)。
象徴的な場面は、北京五輪本大会一次Lの対米国戦の延長十一回表。今大会で初めて導入されたタイブレーク(TB)方式のため、十一回以降はいきなり無死一、二塁で米国の攻撃、というピンチが来る。日本にとっては初めてのTB制だ。
この試合の日本投手陣は好調で、延長十回まで米国打線を0点に抑えていた。十一回表のマウンドに上がった岩瀬仁紀(中日ドラゴンズ)も十回表はみごとに抑えていた。
しかし、十一回表、彼をマウンドに送った星野は、バントのしぐさをしてみせた。おそらく米国のバントを警戒せよと言ったのだろう。タイブレーク制にはいると、五輪本大会ではどのチームもバントで二塁走者を三塁に進めることから始めていたからだ。
星野も岩瀬も、捕手も内野陣も、まったく同じ考えだった。
そこで、岩瀬は十一回表、走者への牽制も、牽制の擬投もせずに、先頭打者に対して不用意にバントをさせるための甘い球を投げてしまう。
一方、米国側はまったくバントの構えもせずに、その初球を強打してヒットにしたので、これで、日本側は投手も捕手も内野陣もベンチも一気に浮き足立ち、一気に4点を奪われる。十一回裏の日本の攻撃で2点はいっただけに、日本のだれか1人が岩瀬に事前に「バントじゃないかもしれないから慎重に」と声をかけられなかったのか、と悔やまれる。
事実上の内野守備コーチとして内野手の守備位置を指示する役割を任されていた宮本慎也(主将)も、試合後のインタビューで「(準備段階で)タイブレーク(でバントをされないケース)を考えてなかった。(試合に)スッと入ってしまったのが選手もベンチも反省点」と、なんともなさけない告白をし、TB対策のお粗末さを認めている(日刊スポーツWeb版2008年8月21日「初タイブレーク準備不足で打たれた/野球」)。 _

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【TB制導入は五輪開幕2週間前に急遽決まったため、参加8か国はどこも不慣れであり、その点では条件は同じであった(中日新聞Web版2008年7月27日「五輪野球『タイブレーク制』導入 星野監督怒った」。但し米国は、日本戦の前に、一次Lのキューバ戦ですでに経験していた)。】

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明らかに五輪本大会の星野JAPAN(1.1)は、アジア予選のとき(1.0)と違って、相当に完成度の低いチームになっていたのである。

「1.0」と「1.1」は、なぜこんなにチームの完成度が違うのだろう。
とくに「1.0」でチームメイトのバント失敗を補う好走塁を見せ、守備コーチとしても完璧だった宮本は、なぜ「1.1」の米国戦ではあんなまぬけなコメントをしたのだろう。
なぜ、こんな奇妙なことが起きたのだろうか。

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●突然、準備不足?●
そこで、推測される原因は「1.1」の「準備不足」だ。
「1.0」は2007年11月に、九州と台湾であわせて実質約2週間の合宿を行ったが、「1.1」は2008年8月に8日間合宿しただけで北京入りしているので(北京入り後の練習は3日間)、合宿期間が足りなかったのではないか、という気がする(以下の表を参照)。

【星野JAPANの直前合宿と練習試合】
年度 大会
(初戦)
チーム 期間* 日数 対戦相手 試合 順位
2007 北京五輪地区予選****
(12月1日〜)
星野JAPAN 1.0 11月12〜19日、
22〜23日
(24?〜30日)
10日+α**** 11月17日 西武
18日ソフトバンク
19日 巨人、
22〜23日 豪州代表
5 1位
2008 北京五輪本大会
(8月13日〜)
星野JAPAN 1.1 8月2〜9日
(10〜12日)
8日
+3日
8月8日
パ・リーグ選抜、
9日 セ・リーグ選抜
2 4位

*--「期間」とは、各代表チームが召集後初めて、大部分の選手が参加して練習を行った日から、大会開催地に移動するまでの期間を指す。星野JAPAN 1.1は、2008年8月1日夜に召集され、2〜7日に練習し(6日は休日)、8〜9日に壮行(強化)試合を行い、10日に北京行きの飛行機に乗っているので、広義の合宿期間は8月2〜9日であり、ここではそれを「期間」とする(合宿中の休日も期間に含める)。開催国(開催都市)にはいったあと、まとまった練習をした場合は「+α」「+n日」と表記している。
****--星野JAPAN 1.0は8日間の合宿(巨人などとの練習試合3試合を含む)のあと、強化試合2試合を経て(ここまでで10日)、11月24日にアジア予選開催国の台湾にはいったが、日本の初戦は、12月1日なので約6日間(α日間)現地で練習したと考えられる。
[資料:後出]

星野自身、合宿開始前に、合宿の短さについて「(準備は)普通は1カ月欲しい。2週間でも自信はある。1週間では(完ぺきにまとめるのは)ムリだろう」と発言している(デイリースポーツWeb版2008年7月12日「星野監督 金獲りへ球宴で“予行演習”要請」)。

この発言はかなり本気のようで、星野は、8月2日から始まる合宿期間の短さを補うために、7月31日〜8月1日のオールスター戦で、星野JAPAN 1.1に選ばれている投手に限っては、国内使用球でなく、五輪使用球で投げさせてほしいと日本プロ野球組織(日本野球機構、NPB)に要請したいという発言さえしている(デイリー前掲記事)。

おそらく、この「1.1」の合宿期間の短さを補うために、2007年11月に2週間以上合宿して、北京五輪アジア地区予選3試合を戦い、選手間の連携や国際試合への「慣れ」を確立した「1.0」のメンバーから(24人中)19人を再度選び、「同じメンバーだから8か月前のことを覚えているだろう」ということで、星野は折り合いを付けようとしたのだろう。筆者も、この合宿期間の短さを考えれば、これしか方法がないと思っていた。すなわち、いくら2008年のプロ野球ペナントレース(シーズン)前半戦の成績がいいからといって、「1.0」に参加していなかった「国際試合の素人」を大勢「1.1」に入れるのは危険だと思ったのである。

ところが、今回、北京五輪本大会を見てわかったことは、どうやら「野球選手は(どんな貴重な経験をしても)8か月経つと忘れるらしい」ということだ。

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●3当2落●
やっぱり、北京入り前の合宿がたった8日間だけでは、8か月前の国際試合の感覚は思い出せないのか、と筆者は一瞬思ったが、念のため、国際大会で星野JAPAN 1.1よりよい成績を上げた過去の日本代表や、今回の北京五輪本大会で日本代表より上の成績を上げた各国代表が、事前にどのような準備をしたのかを調べてみた(以下の表を参照)。

【野球各国代表の直前合宿と練習試合】
年度 大会
(初戦)
チーム 期間* 日数 対戦相手 試合 順位
2004 アテネ五輪本大会
(8月15日〜)
長嶋JAPAN** 7月13〜14日**、
8月6〜10日
(11〜14日)
7日
+4日
7月13〜14日
キューバ代表、
8月8日、10日
イタリア地元チーム
4 3位
2006 WBC
(3月3日〜、
13日***〜)
王JAPAN 2月21〜27日、
3月1日***
8日
2月24〜25日 日本選抜、26日 ロッテ、
3月1日 巨人
8日 マリナーズ、
9日 レンジャーズ、
10日 ブリュワーズ***
4+3 1位
2007 北京五輪地区予選****
(12月1日〜)
星野JAPAN 1.0 11月12〜19日、
22〜23日
(24?〜30日)
10日+α**** 11月17日 西武
18日ソフトバンク
19日 巨人、
22〜23日 豪州代表
5 1位
2008 北京五輪本大会
(8月13日〜)
星野JAPAN 1.1 8月2〜9日
(10〜12日)
8日
+3日
8月8日
パ・リーグ選抜、
9日 セ・リーグ選抜
2 4位

2007 北京五輪地区予選
(12月1日〜)
韓国代表 11月1〜7日(韓国)
9〜26日(沖縄)
(28〜30日)
25日
+3日
沖縄で紅白戦
(レギュラー対
準レギュラー)
7試合のみ
0 2位
2008 北京五輪世界最終予選
(3月7日〜)
韓国代表 2月21日(韓国)
2月23日〜3月6日(台湾)
1日
+13日******
2月25日以降
台湾プロチーム3、
カナダ代表、
豪州代表
5 2位******

2008 北京五輪本大会
(8月13日〜)
韓国代表 8月2〜9日
(11〜12日)
8日
+2日
8月4日 オランダ代表
5〜6日キューバ代表
3 1位
2008 北京五輪本大会
(8月13日〜)
キューバ
代表
5月〜8月上旬
3か月
7月4〜13日 ハーレム ベースボール ウィーク*******、
7〜8月 韓国プロチーム2以上、
8月5〜6日韓国代表
11
以上
2位
2008 北京五輪本大会
(8月13日〜)
米国代表 7月31日〜8月4日
(8月7〜12日?)
5日

********
8月1〜4日
カナダ代表
4 3位
年度 大会 チーム 期間* 日数 対戦相手 試合 順位

*--「期間」とは、各代表チームが召集後初めて、大部分の選手が参加して練習を行った日から、大会開催地に移動するまでの期間を指す。星野JAPAN 1.1は、2008年8月1日夜に召集され、2〜7日に練習し(6日は休日)、8〜9日に壮行(強化)試合を行い、10日に北京行きの飛行機に乗っているので、広義の合宿期間は8月2〜9日であり、ここではそれを「期間」とする(合宿中の休日も期間に含める)。開催国(開催都市)にはいったあと、まとまった練習をした場合は「+α」「+n日」と表記している。
**--長嶋JAPANの長嶋茂雄監督は急病で倒れたため、中畑清ヘッドコーチが監督を代行した。7月13〜14日のキューバとの試合の監督も中畑だったが、オールスター戦後、ペナントレース再開前だったので、長嶋JAPANは投手のやりくりが付かず、社会人野球チームの投手を数人借りて登板させた。
***--王JAPANは2月28日は合宿地の福岡から、東京への移動日と考えられる(巨人戦は東京で行われた)。3月3〜5日のWBC一次リーグ(L)終了後、王JAPANは渡米し、米国で3月13日に始まる二次L開始前に、現地でシアトルマリナーズ、テキサスレンジャーズ、ミルウォーキーブリュワーズの米大リーグ(MLB)3球団と練習試合をしている。この3つの練習試合を含めて、米国における広義の合宿期間は3〜5日と推測されるので、それを「+α」とした。
****--星野JAPAN 1.0は8日間の合宿(巨人などとの練習試合3試合を含む)のあと、強化試合2試合を経て(ここまでで10日)、11月24日にアジア予選開催国の台湾にはいったが、日本の初戦は、12月1日なので約6日間(α日間)現地で練習したと考えられる。
*****--北京五輪本大会に臨んだ星野JAPAN 1.1は読売ジャイアンツ球場での合宿中、巨人2軍との練習試合を予定していたが、雨で中止になり、代わりの試合は行われなかった。
******--2008年3月の世界最終予選は、韓国、台湾、カナダ、メキシコ、オーストラリア(豪州)、南アフリカ、スペイン、ドイツが参加して台湾の台中市で開催された。韓国代表は韓国内での合宿をほとんどせず、開催都市に開幕2週間前にはいって練習した。練習試合の相手として台湾代表にも試合を申し込んだが断られた。
*******--オランダのハーレムで7月4〜13日に開かれた国際野球大会で、キューバ代表は米国、日本、台湾、オランダなどと一次L 5試合、決勝トーナメント2試合を戦ったが、決勝戦で米国に敗れ、2位に終わった。この大会の日本代表も米国代表も大学生のみで構成されている。
********--米国代表の米国内での合宿はカナダ代表との練習試合4試合を入れて5日間だが、2008年8月7日に米国代表監督が北京で記者会見していることから見て、北京入りから初戦の韓国戦までの数日間を事実上の合宿に使ったと考えられる。
[資料:
スポーツナビ2004年7月13日 「日本対キューバ…壮行試合第1戦」
スポーツナビ2004年7月13日「日本、キューバに逆転負け…壮行試合第2戦」
スポーツナビ2004年7月15日 「アテネ五輪野球壮行試合第2戦」
スポーツナビ2004年8月7日 「野球日本代表パルマ合宿初日」
スポーツナビ2004年8月11日 「野球日本代表パルマ合宿最終日」
読売新聞Web版2006年2月20日 「WBC日本代表メンバー、合宿地の福岡に集合」
読売新聞Web版2006年2月27日 「WBC日本代表が福岡合宿終了、1日に巨人戦」
Sports@nifty 2007年11月17日 「星野ジャパン、初の練習試合はドロー」
室井昌也「ソウルはいつも野球愛」2007年11月02日「北京五輪アジア予選韓国代表、メンバーと日程」
同2008年07月10日「3球場で完封&完封リレーとキューバ代表韓国合宿」
朝鮮日報日本語版2007年11月12日付 「北京五輪野球:韓国代表、キャンプ地沖縄に到着」
朝鮮日報日本語版2008年2月25日付 「北京五輪野球:台湾、韓国との練習試合を拒否」
時事通信2008年8月5日付「5月に国内で合宿を始め、7月からは海外遠征」
全日本大学野球連盟Web 2008年7月13日 「第24回 ハーレム・ベースボールウィーク 」
Durham Bulls 球場Web 2008年 「Team USA Schedule / Tickets」
nbcolympics.com 2008年7月31日 「U.S. baseball's own "gym rat"」

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すると、星野JAPAN 1.1の合宿期間は、必ずしも短いとは言えないことがわかった。
銅メダルを取った2004年アテネ五輪の長嶋JAPAN(長嶋茂雄監督、中畑清監督代行)は7月中旬のキューバとの強化試合2試合のあと、直前合宿をイタリアのパルマで5日間(合宿中にイタリア地元チームと練習試合2)行っただけだから、代表選手が全員顔を合わせたのは現地(ギリシャ)入り前には合計7日しかなかったことになる(ギリシャ入り後の練習期間は4日)(これを「合宿期間=7+4日」とする)。
2006年ワールドベースボールクラシック(WBC)で優勝した王JAPAN(王貞治監督)は、九州での合宿(合宿中に練習試合が3試合)が7日と東京ドームでの壮行試合が1試合なので、広義の事前合宿期間は8日である。
2008年北京五輪のキューバ代表は2008年5月に代表チームを結成し、同年7月にオランダのハーレムで開かれたアマチュア野球の国際大会、ハーレムベースボールウィーク(一次Lから決勝Tまで7試合)に出場し、日米蘭の大学生チームなどと戦ったあと、韓国で約3週間の合宿にはいり、韓国の地元プロチームや韓国代表と練習試合を行って北京入りしている。合宿期間は五輪参加国中最長の「約3か月」だが、優勝はのがし、銀メダルに終わった。
同五輪の米国代表は7月31日にチームを結成し、8月4日まで米国内で合宿し、その間カナダ代表と4試合の練習試合(強化試合)をしたあと、北京に飛び、以後は中国国内で練習しているので、事前合宿は長めに見積もっても「5+6日」しかない。結果は3位決定戦で日本を倒して銅メダルだった。
もっとも注目すべきは、韓国代表で、その事前合宿期間は、実は日本と同じ8日間しかないが、北京五輪本大会での結果は金メダルだった。

北京五輪本大会の韓国代表は2008年8月1日に召集され、全員そろっての練習は2日からだが、7日は休みで10日は北京への移動日で、北京現地練習は2日だから、事前合宿期間は休日を入れても「8+2日」しかない(韓国プロ野球応援サイト ストライクゾーン 2008年8月「韓国代表五輪までの日程」):

8月1日(金) 召集
 2日(土) 練習(ソウル・チャムシル球場)
 3日(日) オールスター戦(インチョン・ムナク球場)(出場選手以外はソウルで練習)
 4日(月) 強化試合・対オランダ代表(ソウル・チャムシル球場)
 5日(火) 強化試合・対キューバ代表(ソウル・チャムシル球場)
 6日(水) 強化試合・対キューバ代表(ソウル・チャムシル球場)
 7日(木) 休日
 8日(金) 練習(ソウル・チャムシル球場)
 9日(土) 練習(ソウル・チャムシル球場)
10日(日) 移動日
11日(月) 北京現地練習
12日(火) 北京現地練習

実はこの「韓国代表2008.8」の日程は、以下の星野JAPAN 1.1の日程とほとんど同じである(毎日新聞Web版2008年8月2日「北京五輪:野球 延長戦備え連係に重点 - 星野J合宿」):

8月1日(金) 召集
 2日(土) 練習(読売ジャイアンツ球場)
 3日(日) 練習(読売ジャイアンツ球場)
 4日(月) 練習(読売ジャイアンツ球場)
 5日(火) 練習試合(対巨人2軍)が雨で中止になったので、室内練習(読売ジャイアンツ球場)
 6日(水) 休日
 7日(木) 練習(東京ドーム)
 8日(金) 強化試合・対パ・リーグ選抜(東京ドーム)
 9日(土) 強化試合・対セ・リーグ選抜(東京ドーム)
10日(日) 移動日。夜から北京現地練習(雨のため室内練習)
11日(月) 北京現地練習
12日(火) 北京現地練習

日本側はこの日程を2007年11月に早々と決めているので、韓国側が日本側のまねをした可能性が高い。

韓国代表が日本代表と同じく、国内ではたった8日間の合宿しかせずに金メダルを獲ったところを見ると「強い選手を五輪直前に集めてちょっと練習すれば勝てるなんて甘いものではない。1年以上前から五輪チームを組織し、合宿をして連帯感を持たないと勝てない」という福田富昭・北京五輪日本選手団長の批判は間違いだったということになる(サンスポWeb版2008年8月24日「福田団長、野球とサッカー男子を痛烈批判!」)。福田は即刻日本球界関係者に対して謝罪してもらいたいし、二度と「団長」はしてほしくない(事実関係も確認せずに、軽率な発言をする者が「団長」なら、アテネ五輪で16個だった日本の金メダルが、北京五輪で9個に急減したのもうなずける)。

が、結果的に見ると、練習試合(強化試合、壮行試合)の数が日韓間の唯一最大の違いとなった。
8月5日、巨人の2軍との練習試合が雨で中止になったあと、「1.1」のメンバー、稲葉はこう述べている:

「シーズン中にバントやエンドランをやっていない。打者にサインを出すタイミングとか、チームプレーを確認したかった」(日刊ゲンダイWeb版2008年8月6日「●ぶっつけ本番に選手の戸惑い」)

この時点で、雨で中止になった試合の代替試合は予定されていないものの、8月8〜9日に、絶対雨で中止になるはずのない、東京ドームでの壮行試合(強化試合)がセパ両リーグ選抜を相手に残されていた。にもかかわらず、稲葉がこのような不安を口にしたということから見て、また、アテネ五輪、WBC、北京五輪の各国代表の練習試合の数と最終順位から見て、国際大会で3位以上にはいり、満足な成績を上げるには「練習試合は2試合では足りず、3試合なら足りる」という「3当2落」の法則が成り立つと言えそうだ。

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●絶好機をパス!?●
それなら、星野JAPAN 1.1が北京五輪で4位と惨敗した原因は、8月5日に川崎市に降った雷雨、あるいは、巨人との練習試合中止後に代替試合を用意しなかったNPBにあるのであって、星野の責任ではない…………かというと、そうではない。

実は、この練習試合をの不足を補う絶好のチャンスがあったのだ。
中国代表が、8月11日か12日に練習試合をしたいと申し込んでくれたのだ。これについては星野自身、当初は「投手のやりくりがつけば、やってもいいかな。現地で練習試合をやれるメリットは大きい」と語っていた(毎日新聞前掲記事、スポニチWeb版2008年8月1日「中国から星野ジャパンに“挑戦状”」)。

もしこの試合をしていれば、星野JAPAN 1.1の北京五輪本大会前の練習試合の数は、韓国代表と同じ3試合になるから、稲葉が抱いていた不安は払拭される。

そのうえ、この練習試合の会場は、五輪本番で使う球場なので、ここで練習試合をすれば、事前に会場の照明の暗さや芝の状態、外野フェンスのクッションボールのはね返り方やファウルグランドの広さ(狭さ)を体感できることになる。これは開催国中国以外では、日本だけに与えられた「特権」となり、日本を、韓国、キューバなどのライバル国に対して圧倒的な優位に立たせる好材料となったはずだ。

にもかかわらず、星野JAPAN 1.1は、この練習試合の申し込みを断った。
理由は明かされていない。もしかすると、NPB関係者(あるいは、アマチュアも含めた日本球界全体の組織である全日本野球会議)が手続き上の理由で反対したのかもしれない。
しかし、星野JAPAN 1.1は元々11〜12日に北京のグランド(五輪主催当局が本番で使う五カ松球場、五カ松第二球場のすぐそばに建設した練習用球場)で練習するはずだったのだから、日程上はなんの問題もない。だから、星野が「どうしてもやりたい」と言えば、日本球界関係者が反対するはずはない。

上記の星野の発言には気になる箇所がある。それは「投手のやりくりがつけば、やってもいいかな」という部分である。
もし星野が本番(五輪一次L初戦のキューバ戦)の前々日に試合をすると、投手が疲れるのでやめたほうがいい、と思ったのなら、国際試合のなんたるかを知らないと言わざるをえない。

王JAPANを見よ。2006年3月3日のWBC一次L開幕の前々日に、巨人と練習試合をしているではないか(一次L終了後も二次Lとの間に、試合カンを維持するために米大リーグの単独チームと前々々日まで試合をしている)。
そもそも、練習試合は投手のためにするものではない。稲葉が言うように、野手が選手間の連携を確立するためにするものだ。
2004年の長嶋JAPAN(指揮は中畑清「監督代行」)は、キューバとの練習試合を、五輪本番の1か月前に2試合組んだが、シーズン中のため、投手の登板間隔が詰まっており「投手のやりくり」がつかなかった。そこで、当時の社会人野球の投手を3人ほど借りて登板させている。

つまり、星野は中国から練習試合を申し込まれた時点で、プロの2軍やアマチュア球界に声をかけて、練習試合用の投手を借りればよかったのだ。

たとえそれができなくても、11日の練習試合で投げた投手は14日の台湾戦まで中2日、15日のオランダ戦まで中3日、16日の韓国戦まで中4日、18日のカナダ戦まで中6日登板間隔があく。日米のプロ野球では先発投手は最低中4日の登板間隔が必要とされるが、1995年の米大リーグ(MLB)のオールスター戦で先発して2イニング投げた野茂英雄投手が中1日でシーズン中の先発ローテーションに戻ったように、2イニング以下の投球なら、本番のローテーションには影響はないはずだ。台湾戦先発の涌井秀章(埼玉西武ライオンズ)、オランダ戦先発の杉内俊哉(福岡ソフトバンクホークス)、韓国戦先発の和田毅(同)、カナダ戦先発(13日のキューバ戦にテスト的にショートリリーフ登板)の成瀬善久(ロッテ)の合計4人の投手に2〜3回ずつ投げさせれば、なんの問題もない。

もし投手を3人にしたいなら、「練習試合だから7回までにしよう」と申し込めばいいし、TB制の練習をしたいなら、「6回までは普通にやって、7回からは点差に関係なくTB制にしよう」と頼めばいい。中国代表監督は日本のロッテオリオンズでプレーしたことのある親日家のジム・ラフィーバーなので、たぶんなんでも聞いてくれたはずだ。

そして、この「場所が中国で相手も中国」という練習試合をやれば、自動的に審判は外国人ということになる。つまり、本番前に、日本選手は国際試合の審判の判定に慣れることができたのだ。
この機会をのがしたことが、結果的に非常に痛かった。

星野JAPAN 1.1が惨敗した原因が星野監督の采配にあると議論している連中のほとんどは、国際試合の素人だ(どうもサッカーと違って、野球の場合は、かなり経験豊富な元選手の解説者でも、国際試合のことは知らないらしい)。

星野自身と国際試合に精通したアマチュア球界関係者の発言を見れば、敗因は明らかだ。

星野は帰国後の記者会見で、ポイントになった試合は初戦(8月13日の一次Lキューバ戦)であり、「(初戦で)非常にバッターがストライクゾーンというものに不信感というか、怖さを感じた」と述べている(サンスポWeb版2008年8月24日「星野監督『責任者として本当に申し訳ない』」、同25日「星野監督トーク『勝ったものが強い」』」)。

ロサンゼルス五輪野球日本代表の監督を務めた松永怜一は、全員プロの日本の選手や監督たちがアマチュアの審判を知らなさすぎると酷評する。
たとえば、初戦のキューバ戦で里崎のハーフスイングの判定をめぐって星野が球審に抗議したことを指して、松永は「アマチュアでは考えられない(暴挙)」と批判する(サンスポWeb版2008年8月24日 「『プロ感覚』抜けず…審判も敵に回していた」)。

また、日本のプロ野球では、捕手はストライクゾーンぎりぎりで投球を捕球した際、微妙に手首を内側に返してストライクに見せようとするが、これを国際試合でやると「審判の技能をばかにしたことになり、10人目の敵を作ることになる」にもかかわらず、日本の捕手は最後までこれを続けた(サンスポ前掲記事)。

審判は試合後にミーティングを開くので、その場で審判たちが「日本はいったいなんなんだ!!」と非難し合ったことは確実で、「ストライクゾーンなど日本へのジャッジが最後まで辛めだったことは、決して偶然ではないだろう」(サンスポ前掲記事)。

しかし、8か月前はこうではなかった。
星野JAPAN 1.0は、2007年11月22〜23日に、オーストラリア(豪州)代表を福岡ヤフードームに招待して強化試合を2試合行ったが、この際、豪州人の審判を2人に招き、星野の希望で、2試合とも豪州人に球審を務めてもらった。

このため、11月22日の初戦の一回裏、一塁走者の西岡剛(ロッテ)が、日本では完全にボークになる形での牽制球でアウトにされ、日本代表選手全員がショックを受けたのだ。

そしてこのショックが、2007年12月1〜3日のアジア予選(決勝L)では最後まで有利に作用した。
つまり、国際試合の審判なんてこんなもの(へたくそ)だ、と監督も選手も事前にわかっていたので、本番中、監督も選手も一度も抗議をしていないのだ。このときの韓国戦では、岩瀬は日本と違う不安定なストライクゾーンにかなり苦しんだが、事前に「国際試合の審判なんてどうせこんなもの」と思っていたので、2イニング以上投げて1点しか取られなかった。

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●偽装スタメンの背景●
同じ頃韓国はどうだったか、というと、その準備の仕方は日本の正反対だった。
キム・ギョンムン(金卿文)監督率いる「韓国代表2007」は韓国内と沖縄と台湾国内であわせて約4週間の合宿をしたが、その間に行った対外練習試合は、なんとゼロ。チーム内のレギュラーと準レギュラーの試合、つまり、日本でいう「紅白戦」を7試合やっただけだった(朝鮮日報日本語版2007年11月12日付「北京五輪野球:韓国代表、キャンプ地沖縄に到着」)。

星野JAPAN 1.0は豪州代表との2試合のほか、巨人などとも3試合の練習試合をし、合計5試合の練習試合をこなして開催地の台湾にはいっているので、その差は歴然としていた。

おそらく金卿文は、アジア予選開幕直前に、韓国代表の、国際審判への対応や練習試合の回数が、日本とあまりにも違いすぎることを知って、「このまま普通に日本と戦うと、単に負けるだけでなく、ボロ負けする恐れすらある」と気付いただろう。

そこで、彼はボロ負けを防ぐために何かしないわけにはいかなったのだろう。
彼は、アマチュア野球のルールでは、試合開始1時間前に(球場の電光掲示板表示を準備するために)相手チームと交換した先発メンバー(スタメン)表を、故障した選手が出た場合に備えて試合開始直前に変更してもいい、というルールを悪用して、直前に投手も含めて6人も入れ替え、打順も大幅に変えたのだ(朝鮮日報日本語版2007年12月3日付「北京五輪野球:先発変更への不満は日本の無知」)。

大会前の各国代表の監督会議では「1時間前にメンバー表を交換したあとはもう変更しないことにしよう」という紳士協定が結ばれていただけに、この「猫だまし」のような作戦は明らかに姑息、卑怯であり、大会後、国際野球連盟(IBAF)から問題視され、韓国は北京五輪に審判を派遣することを禁じられた(中央日報日本語版2008年8月8日付「野球:北京五輪、韓日戦は心理戦からスタート」)。

全世界が呆れる「偽装スタメン」は、韓国側が「練習試合ゼロで日本にボロ負けしそう」と焦ったことが原因と考えると理解できる。
この作戦はある程度奏効し、星野JAPAN 1.0は明らかに動揺し、先発投手、左投げの成瀬は、1時間前のメンバー表では下位打線にいたものの5分前のメンバー表で二番打者になった右打者のコ・ヨンミン(高永民)に本塁打を打たれて先制点を許した。
それでも練習試合と国際経験の不足はどうしようもなく、韓国は「2ストライクと追い込まれてからの(打者の)対応能力」の差がもろに出て、韓国守備陣のエラーもあって、「ワンランク上の戦力」を相手に敗れた(朝鮮日報日本語版2007年12月4日付「北京五輪野球:韓国が越えられなかった日本の壁」、同3日付「北京五輪野球:韓国、決定打不足に泣く」、同3日付「北京五輪野球:日本、科学的トレーニングで韓国戦制す」)。

日本選手団長の福田に言いたい。「国際試合は強い選手を直前に集めてちょっと練習すれば勝てる甘いもの」なのである。「韓国代表2007」を見てもわかるとおり、だらだらと4週間も合宿をしたところで、意味はない。合宿は1週間で十分である。但し、その期間中に、対外練習試合を3試合以上、その練習試合のなかに外国人審判が球審を務める試合を2試合以上行う必要がある。

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●けじめ●
星野JAPAN 1.1の、最大にして、ほとんど唯一の敗因は練習試合の不足である。
その責任は、代表合宿期間中に外国人審判を招いて強化試合をせず、雨で中止になった巨人2軍との練習試合の代替試合を組まなかった、NPBら日本球界関係者の「マッチメイク」能力の不足にある。これは、2008年に限っては、キューバ、オランダから「A代表」を招いて3試合も強化試合を組んだ韓国野球委員会(KBO)のほうが上だったと言える。

しかし、最大のポイントは、代表監督である星野自身が、これらの練習試合不足を補って余りある「本番で使う球場での(外国人が球審を務める)練習試合」という好条件を中国から提示されたにもかかわらず、断ったことにある。

この点について星野自身の口から説明しない限り、星野が日本代表監督として、北京五輪に続いて2009年3月のWBCにも臨むという、いわゆる「続投」は論外である。

だいたい、サッカー日本代表監督なら、A代表であれ五輪代表であれ、国民の期待を裏切った時点で即解任ではないか。北京五輪野球アジア予選で台湾代表監督を務めた郭泰源(元西武ライオンズ投手)は、韓国戦1試合に負けたことを理由に代表監督を辞任している(朝鮮日報日本語版2008年2月25日付「北京五輪野球:台湾、韓国との練習試合を拒否」)。それが国際スポーツビジネスの常識だろう。星野が惨敗後に代表監督として続投することは、星野自身にとって恥なのは言うまでもないが、日本にとっても恥である。もし星野がWBCでも韓国に負けたら、日本は世界の笑いものだ。

それに、星野は、他の代表監督とは練習試合に対する考え方が違うように見える。
長嶋JAPAN、王JAPAN、北京五輪本大会の韓国代表、米国代表はいずれも、合宿開始(代表選手全員の初招集)後かなり早い段階で練習試合をし、「先に試合をし、あとで練習(をして弱点を修正する)」という方針をとっているが、星野JAPANは逆で、「1.0」でも「1.1」でも、「先に練習をして、あとで試合をする」という方針をとり、最大の練習試合は合宿最終盤に持って来ている([野球各国代表の直前合宿と練習試合])。

上記の如く「1.1」では星野は、2008年8月2〜4日に(北京の暑さに慣れるために?)炎天下で3日間で練習し、そのあと5日にその成果を試すために巨人2軍と練習試合(雨で中止)、そのあと1日休んで7日に東京ドームで練習し、8〜9日に最後の強化試合という日程をNPBに提案されて了承している(星野はこの日程について「合宿初日から3日間は現状維持で汗を流してもらう」と述べている。毎日新聞Web版2008年8月2日「北京五輪:野球 延長戦備え連係に重点 - 星野J合宿」)。
「1.0」のときも、2007年11月12〜19日の宮崎合宿期間中、最初の5日間は練習しかせず、西武、ソフトバンク、巨人との練習試合、計3試合は最後の3日間に集中させている(そのあと、20〜21日は移動日、休養日で、22〜23日は豪州代表との最終強化試合2連戦なので、最後の7日間は「7日間で5試合。練習なし」ということになる)。
もしも星野(1.1)が長嶋や王のように「先に試合」の方針をNPBに強く訴えて、2008年8月3日頃に練習試合を組んでおけば、それが雨で流れることはなかったわけで、結果論だが、星野の練習試合に対する考え方が仇になったと言える。

ちなみに「先に試合」という考えを持つ代表監督、長嶋(中畑)、王、金卿文および北京五輪米国代表のデーブ・ジョンソン監督(および、日本代表に対して直前に練習試合を申し込んでくれた中国代表のジム・ラフィーバー監督)は全員、野手出身なのだ(長嶋、中畑、王、ジョンソンは元巨人内野手、金卿文は元捕手、ラフィーバーは元ロッテ内野手)。野村克也・東北楽天ゴールデンイーグルス監督が「投手出身の監督は視野が狭い」と星野を批判していたが、そのとおりかもしれない(デイリースポーツWeb版2008年8月25日「ノムさん 星野JAPANをメッタ斬り」)。

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●「人選批判派」の敗北●
北京五輪開幕前、星野が代表メンバーに今シーズン中(2008年)長期間2軍落ちしていた上原浩治投手(読売巨人軍)ら不振の選手を選んだことを批判し、今シーズン中の成績のよい選手をもっと選べと主張していたジャーナリストや野球解説者の意見は、すべて間違いだった(『サンデー毎日』2008年6月22日号 p.131 「『シーズン0勝』上原頼みで予選落ちもある『星野ジャパン』」における野球解説者・江本孟紀やジャーナリスト・谷口源太郎のコメント、など)。
上原は台湾戦、カナダ戦で完璧な投球をしたし、シーズン中不振だった成瀬、涌井も、それぞれ先発したカナダ戦、中国戦では、7イニング投げて無失点という好投を見せた。

逆に筆者が(シーズン中、前半だけで20本以上本塁打を打っていても)五輪では「どうせ本塁打は打てないし、エラーをする」と予測していた村田修一・三塁手(横浜ベイスターズ)はそのとおりになった(小誌2008年7月7日「星野JAPAN 1.1〜シリーズ『北京五輪』(1)」、全日本野球会議Web 2008年8月23日「北京五輪 日本代表選手成績」)。

つまり、筆者が常々に言っているとおり、国内試合と国際試合とはまったく別のものなのだ。選んだ監督は言い難いだろうから、代わりに筆者が言おう、極端な話「代表選手なんて全員二流でもかまわないのだ」と。

北京五輪で金メダルを取った韓国代表選手の大半は、日本のプロ野球の1軍ではほとんど通用しない二流選手ではないか。
韓国プロ野球のレベルは明らかに低い。それは、2006年までKBOのリーグで通算打率3割以上の大活躍をし(10年間で1435安打、134盗塁)、走攻守三拍子そろった安打製造機、「韓国のイチロー」と呼ばれていたイ・ビョンギュ(李炳圭)外野手が、2007年に中日に入団したものの、その年は打率.262、盗塁0に終わった事実を見れば明らかだ(2008年シーズンは8月30日まで.248、盗塁1。Yahoo!プロ野球2008年8月31日「中日-李炳圭プロフィール・総合成績」)。
この数字は、韓国の投手たちが牽制球を投げるのが相当に下手で、そういう二流投手が相手なら年間何十盗塁もできる選手でも、牽制球を投げるのがうまい日本の投手が相手だと、まったく盗塁ができないということを意味している。
それぐらい日韓の野球技術には差があるのだが、五輪のような国際大会になると(たとえ韓国の選手層がどんなに薄くても、ある程度日本に通用しそうな選手を24人だけ集めさえすればいいので)その差がほとんど出ないのである(日本にはその24人と同レベルまたはそれ以上の選手は数千人いるが、数千人にいても結局そのなかから24人しか選べない)。

いままで小誌は、シドニー五輪野球で金メダルを取ったMLB傘下のマイナーリーグ(2A、3A)の選手を集めて優勝した米国代表が豪州国内で事前に2週間合宿していたという事実、および、同五輪で4位に終わった日本代表(のちに大リーガーになる松坂大輔投手や田口壮外野手を含む)が全員そろった事前の合宿練習を2日間しかしなかったという事実に基づいて
「2日間しか合宿をしない一流選手のチームより、2週間合宿をした二流選手のチームのほうが強い」
と言って来た。が、今回の北京五輪の結果を踏まえて若干修正する。これからは
「2試合以下しか(対外)練習試合をしない一流選手のチームより、3試合以上練習試合をした二流選手のチームのほうが強い」
と言おう。

キューバ代表は北京五輪本番とほとんど同じメンバーで、五輪前の7月、オランダで開かれたハーレムベースボールウィークという国際大会に参加し、一次Lから決勝Tまで7試合戦ったが、決勝戦で米国に敗れて2位に終わった(全日本大学野球連盟Web 2008年7月13日「第24回 ハーレム・ベースボールウィーク 」)。

実はこのとき優勝した米国代表は、大学生のチーム(collegiate team)なのだ(Durham Bulls 球場Web 2008年「Team USA Schedule / Tickets」)。もしもこの大会の「米国学生代表」が北京五輪に参加していたら、星野JAPANに勝っていたかも知れないのだ。

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●不毛の采配批判●
事前に「金メダルしか要らない」と公言して銅メダルも取れなかったのだから、星野監督の采配に批判が出るのは当然だが、はたして采配批判などできるだろうか。
筆者も、3位決定戦の米国戦でダルビッシュ有(日本ハム)が先発または二番手で、つまり勝負がつく前に登板しなかったのは不思議だった。それは、その3日前の一次Lの米国戦で彼が2イニング打者6人を完全に抑えており、事前に収集した米国打者のデータがどうであろうと、その時点でダルビッシュが米国に通用することは証明されていたからだ。

しかし、これ以外は、実は批判のしようがないのだ。
たとえば、準決勝の韓国戦の8回裏、この回先頭の二番打者イ・ヨンギュ(李容圭)に打順がまわった時点でなぜ岩瀬が登板したのか、それ以前にこの試合になぜダルビッシュが先発しないのか、という疑問を抱いたTV視聴者は少なくないだろうが、もしも星野の手元に「ダルビッシュは韓国の打者、とくに二番打者李容圭、三番打者のキム・ヒョンス(金賢洙)らに弱い」というデータがあったとしたら、どうだろう。

どんなに優秀な投手にも「相性」というものがある。
星野はアジア予選でも、北京五輪本大会一次Lでも、韓国戦にはダルビッシュを登板させていない。
これはアジア予選終了後の韓国メディアの見方だが、星野はダルビッシュのような「力で押すタイプの投手」は韓国の打者に打たれやすいと判断して、韓国戦での登板を回避したのではないだろうか(朝鮮日報日本語版2007年12月3日付「北京五輪野球:韓国戦に臨む日本の姿勢に変化」)。

もし岩瀬が二番から四番のイ・スンヨプ(李承ヨプ)までの3人の左打者を無失点で切り抜けたら、続く五番打者、右打ちのキム・ドンジュ(金東柱)のところでダルビッシュが登板するはずだった(が、李承ヨプに2点本塁打が出て、涌井に変更された)という大野豊・日本代表投手コーチの証言があるので、筆者の推測は正しい可能性がかなりある(デイリースポーツWeb版2008年8月23日「岩瀬、決勝弾献上…炎上ブルペン大混乱」)。

マスコミや球界関係者のだれが(おおやけの場で)星野を糾弾する場合でも、星野采配の是非を論じようとすると、星野JAPANのスコアラーが持っている「ダルビッシュはどの打者に弱いか」というデータをすべて出してもらわけなければならない。しかし、そういうデータを出すことは、日本のエースの弱点を全世界にさらすことであり、明らかに国益に反するので、やらないほうがいい(どうしてもやりたければ、密室でやるしかない)。

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●韓国が日本に勝った理由●
筆者は小誌上で「韓国と五輪の準決勝あたってはいけない」と言って来た。理由は、韓国の男子スポーツ選手は五輪で銅メダル以上を獲得すると兵役免除の権利が得られるが、準決勝に勝った時点でそれが確定するからだ(小誌2008年7月7日「星野JAPAN 1.1〜シリーズ『北京五輪』(1)」、朝鮮日報日本語版2008年8月25日付「北京五輪:メダリスト22人が兵役免除に」)。

だから、兵役免除が決まる直前の韓国代表は世界でいちばん強い。彼らが強いのは「韓民族が優秀だから強い」のではなく、韓国政府のまつりごとがあまりにも悪いので、韓国の若者がその害悪から逃れるために必死になるから強いのだ。

準決勝の日本戦、九回表、「2-6」とリードされた日本の最後の打者、阿部慎之助(巨人)のライトフライを韓国の右翼手、李容圭が捕球してゲームセットとなった瞬間、李容圭はグラブを顔の前に掲げた捕球姿勢をとったまま、グランドに倒れ込んだ。

これを見た宮本慎也は試合後のインタビューで「彼らのほうが金メダルへの思いが強かったのだろう」と語ったが、それは違う。李容圭は、あのフライを捕った瞬間「ああ、これで兵役を逃れられる」と安心して、どっと疲れが出たのである。現に彼は五輪後ただちに「銅メダル以上を獲得した」ことを理由に兵役免除が決まっている(朝鮮日報日本語版2008年8月25日付「北京五輪:メダリスト22人が兵役免除に」)。金メダルへの執念も日本へのライバル心も反日感情も関係ない。相手が日本でなくて米国でもキューバでも、準決勝で勝てばウィニングボールを捕った韓国代表選手は同じようにしたはずだ。

【はっきり言って、日本は韓国を知らなさすぎる。準決勝における韓国の異常な強さがわかっていれば、一次Lの戦い方はおのずと変わるはずだ。準決勝は一次Lの「1位対4位」「2位対3位」で行われるので、一次L最終戦の米国戦で日本が勝っていれば、日本は一次L 3位になり準決勝で一次L 1位の韓国と対戦することはなかった。日本は事前の練習試合が不足していたので、韓国の代わりに一次L 2位のキューバと戦っても負けたとは思うが、少なくともその試合にダルビッシュを先発させることはできたので、できればそうしてほしかった。】

したがって、WBCでも、各国は兵役免除が決まる直前の韓国との対戦は避けたほうがいい。二次Lは単純に全勝することをめざすべきでなく、決勝Tの組み合わせを考えながら戦う(場合によってはわざと負ける)必要がある。

【この準決勝の最中、5回から、日本のベンチとブルペンを結ぶ電話が故障して、首脳陣と控え投手の意志疎通が困難なり、「8回裏無失点のままならダルビッシュ、点がはいったら涌井」というベンチの指示が伝わらず、涌井が十分に肩を作らずにマウンドに上がって決定的な追加点を奪われた、という事実がある(デイリースポーツ前掲記事)。このとき韓国選手は「勝てば兵役免除」という「命懸けの戦い」をしていたのだから、工作員に頼んで電話線を切ってもらうぐらいのことをやっても不思議ではない。
もちろん「破壊工作」の証拠はないが、これと同じようなことは、WBCでもありうると考えなければならない。WBC日本代表監督には、この種の工作とも戦う能力が要求される。
2006年のフィギュアスケートグランプリファイナルにおける浅田真央ら日本選手3人の「謎の体調不良」、2008年7月のサッカー日本代表候補選手・遠藤保仁の「謎のウィルス感染」という「先例」があるので、今回も工作員の「テロ」だった可能性は排除できない(小誌2008年7月28日「謎のウィルス感染〜シリーズ『北京五輪』(2)」)。】

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●韓国がキューバに勝った理由●
準決勝で、岩瀬は韓国代表の「李承ヨプごとき」に本塁打を打たれて、それで日本が負けたが、あの試合、第3打席までは、李承ヨプは完全なブレーキで、2三振、1併殺打だったし、初回には走塁妨害までしでかして日本の先取点に貢献していた。
この第3打席まで、彼の北京五輪本大会通算打率は1割台で、キューバ戦、カナダ戦、日本戦ではノーヒットだたったから、そこまでは筆者の予測(李承ヨプは安全パイ)は完全にあたっていた(小誌2008年8月4日「イ・スンヨプの謎〜シリーズ『北京五輪』(3)」)。

結局、第4打席で本塁打が出たのは、岩瀬の「練習試合の不足による国際審判への不適応」が原因なのだろうが、あそこでヒットを打たなかったら、李承ヨプは、兵役免除のかかった若い選手たちから「あんたのせいでオレが兵役に行って殺されたらどうしてくれる」と突き上げられ、集団リンチに遭いかねなかっただろう。だから、あそこで彼が異常な集中力を発揮し、実力以上の打撃ができたのはそういう事情だろう。

が、翌日の決勝戦のキューバ戦でも、分不相応に本塁打を打っている。
というか、韓国代表自体が分不相応に格上のキューバに勝ってしまった。すでに、兵役免除という「究極のニンジン作戦」は終わっており、韓国政府は「金メダルを取ったら1人10億ウォン(約1億円)」という「第二のニンジン」を用意していたとはいえ(2008年8月23日放送のNHK-BS1『北京五輪中継』)、こんどはもう命懸けの戦いではない。いったいなぜだろうと、筆者はしばらく理由を考えていた(まさか、決勝戦でも電話線を切ったのか)。

そして、わかった。
決勝Tに進んだ4か国のうち、韓国だけが、3月に台湾で行われた世界最終予選に出ていたのだ。
日本はアジア予選で、米国とキューバは米大陸予選で五輪本大会出場を決めてしまったため、そのあと予選がなかったが、韓国はアジア予選で本大会出場を決められなかったため、他の7か国とともに世界最終予選に出て、五輪本大会一次Lとまったく同じ8か国総当たりのリーグ戦を、五輪本大会と同様の国際審判のもとで戦っていたのだ。

これは最高の予行演習になる。五輪本番をどう戦えばいいか、事前にシミュレーションしているのと同じことだからだ。

2007年のセ・リーグのペナントレースで巨人は1位になり、中日は2位になったため、中日は阪神とのクライマックスシリーズ(CS)第1ステージ(2勝先取制)にまわった。
中日はこれに勝ったため、巨人と第2ステージ(3勝先取制)を戦ったが、なんと第2ステージでは中日が勝ってしまった。
CSの前身は2004〜2006年にパ・リーグが単独で実施していた同じ方式のプレーオフだが、2004〜2005年にペナントレースで1位になったソフトバンク(2004年は福岡ダイエーホークス)が2年連続で日本シリーズ出場をのがしたため、その当時から言われていたことだが、第1ステージの間、ペナントレース1位のチームは試合をしないため「試合のカン」が鈍るので、不利なのだ。他方、2位のチームは第2ステージのシミュレーションを第1ステージで行うことになるから、結果的に有利になる。

つまり、事前に本番さながらのシミュレーションをしていたことが、韓国が北京五輪本番で全勝優勝できた最大の要因なのではあるまいか、と推測されるのだ。

韓国代表選手たちは、2007年12月に国際審判のストライクゾーンにとまどったあと、2008年2月の春季キャンプ開始と同時に、国内のストライクゾーンに対応した。が、世界最終予選に備えて2月下旬に台湾にはいり、練習試合から外国人の審判のもとで「国際ストライクゾーン」を経験して、3か月前の記憶を取り戻し、それが終わって3月中旬に韓国に戻ると、また国内のストライクゾーンに対応し、8月上旬になると、また外国人の審判のもとで五輪直前の強化試合に臨んで4か月前の記憶を取り戻した……ということかも知れない。

8か月前の記憶を完全になくして、五輪本番で審判に抗議した星野JAPAN 1.1とは大違いだ。
(>_<;)

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●読売の陰謀?●
小誌で以前述べたとおり、米国を除く世界のほとんどのプロ球技では、国内リーグより、国を代表するナショナルチームの出場する国際大会を重視しており、したがって当然「A代表」「五輪代表」が最大の人気チームである。日本サッカー界(Jリーグ)はこれに倣っている。

他方、日本プロ野球界、とくにセ・リーグは、永年、巨人というただ1つの超人気球団が牛耳って来たので、そういう構造になっていない。巨人(の親会社である読売新聞社)は、シドニー五輪で五輪野球史上初めてプロの参加が認められた際、五輪代表が巨人を上回る超人気チームになることを恐れ、セ・リーグだけパ・リーグと異なる代表選手の選考基準を設けて、セ・リーグの有力選手が五輪に出場することを徹底的に妨害した(この結果、日本でいちばん愛国心のない新聞が読売新聞であることも判明した)。

シドニー五輪野球で日本が銅メダルも取れずに惨敗すると、読売に非難が殺到し、結局読売は、日本代表監督の座に巨人関係者を送り込み、日本代表の人気を利用して巨人の人気を補強するという方針に切り替えたようだ。2004年アテネ五輪と2006年WBCの日本代表監督にはそれぞれ、巨人OBの長嶋、王を就任させている。

しかし、2人ともいまや健康問題を抱え、もはや代表監督就任は不可能な情勢だ。そして、この2人を除くと、もはや名監督と呼べそうな巨人OBの監督経験者はほとんどいない。
そこで、読売はもう巨人OBにこだわっていられなくなり、2003年に阪神タイガースをセ・リーグで優勝させた監督として人気のある星野(中日OB)を日本代表監督にして、五輪かWBCのどちらかで優勝させ、「国民的英雄」にしてから巨人の監督に迎えて巨人人気を補強しようと考えた、らしい(そういう推測記事が一部メディアにある)。

しかし、星野が北京五輪でメダルをのがし、アテネで銅メダルを取った中畑以下になってしまったため、読売のシナリオは狂った。

短期間ながら選手として巨人に在籍したことがあり、かつ、2007年の日本シリーズとコナミカップ(コナミ杯)アジアシリーズを制し、国際大会の優勝経験もある中日の落合博満監督が(読売の意向を受けた)NPB関係者から打診されて断ったため(日刊スポーツWeb版2008年8月30日「落合監督『私はやりません』WBC断った」)、読売は社を挙げて応援できる唯一の日本代表監督として、また星野を推さざるをえなくなった。
だから、ナベツネこと、渡辺(渡邉)恒雄・読売新聞グループ本社会長は「ほかにいるか?……星野君以上の人がいるならいい。でも、いるかね? オレはいるとは思わない」などと暴言を吐いて、星野をWBC日本代表監督に就任させようとするとするのだろう(スポニチWeb版2008年8月26日「渡辺会長がWBC指揮官に星野監督後押し」)。

【読売グループのスポーツ新聞は「星野JAPAN惨敗の理由」と題する記事を連載し、でたらめな、あるいは、重要でない原因を挙げている。
たとえば、「大会前はほとんど生じないと思われていた延長十一回(TB制)への突入が、大会が始まると、台湾対中国、韓国対中国など、明らかに力の差があるチーム同士でも実現したため、大会の途中から、TB制にはいった場合十一回のマウンドはバント処理のうまい藤川球児(阪神)に任せると決め、ほかのリリーフ投手陣、とくに川上憲伸(中日)、岩瀬への負担が重くなった」という指摘は明らかに事実に反する(スポーツ報知Web版2008年8月26日「[星野JAPAN惨敗の理由](下)タイブレークの影に怯え継投ミス」)。
じっさいに日本がTB制に突入した一次L米国戦の十一回表のマウンドに上がったのは藤川ではなく岩瀬だったではないか。
この連載の意図は明白で、でたらめな敗因を挙げておいて「これらの問題は監督が反省すれば解決できるから、星野続投でいいでしょう」と言いたいのだろう。しかし、このようにすぐバレるウソを平気で書く記者は、即座に辞表を出すべきだ。記者たる資格がない。】

ナベツネのいう「星野君以上の人」というのは、「読売新聞の販売拡張戦略にとって星野以上に役立つ、明るいイメージの人」であって、野球の監督として星野以上の能力や実績を持つ知将、たとえば、南海ホークス、ヤクルトを優勝させた実績のある楽天の野村監督のことではない。

野村はそれがわかっているから、2009年WBCへの星野「続投」を支持したうえで、自ら「星野改造内閣」にヘッドコーチとして入閣したいなどと言い出したのだろうし(スポニチWeb版2008年8月27日「ノムさん“物言う日本代表ヘッド”に立候補」)、読売と新聞拡販戦略で争う中日(ドラゴンズの親会社、中日新聞社)は続投に反対なのだろう(スポニチWeb版2008年8月26日「中日社長『WBC星野監督』を拒絶!!」)。

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とはいえ、星野が続投するとは限らない。
読売は新聞の拡販につながると思うから星野を続投させたいのであって、そうでないと思えば、つまり、たとえば、星野続投に反対する大勢の読者が不買運動を起こせば、星野続投はなくなる。

だから「星野続投反対」の方は、この件名で、読売新聞のサイト「お問い合わせフォーム」から「投票」して頂きたい( https://app.yomiuri.co.jp/form/ )。10万票も集まれば、さすがのナベツネも考えを変えるだろう。

なんとなく、読売が中日を押し切って「星野監督 + 野村ヘッド」の連立政権、というか、事実上の野村政権を実現させてしまうような気がするが……それは「敗戦責任」のけじめがつかないので、はなはだ好ましくないが……星野監督にせよ、野村ヘッドコーチにせよ、野村監督にせよ、「(事実上の)次期日本代表監督」は必ずこの記事を読んで、電話線を切られた場合の対策まで考えて、WBCに臨んでもらいたい。

実はこの記事はそのために書いたのだ。

【この記事は純粋な「予測」であり、「期待」は一切含まれていない。】

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【中朝国境地帯の情勢については、お伝えすべき新しい情報がはいり次第お伝えする予定(だが、いまのところ、中朝両国の「臨戦体制」は継続中)。】

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【2007年4月の『天使の軍隊』発売以降の小誌の政治関係の記事はすべて、読者の皆様に『天使』をお読み頂いているという前提で執筆されている(が、『天使』は中朝戦争をメインテーマとせず、あくまで背景として描いた小説であり、小説と小誌は基本的には関係がない)。】

【出版社名を間違えて注文された方がおいでのようですが、小誌の筆者、佐々木敏の最新作『天使の軍隊』の出版社は従来のと違いますのでご注意下さい。出版社を知りたい方は → こちらで「ここ」をクリック。】

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【尚、この小説の版元(出版社)はいままでの拙著の版元と違って、初版印刷部数は少ないので、早く確実に購入なさりたい方には「桶狭間の奇襲戦」)コーナーのご利用をおすすめ申し上げます。】

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 (敬称略)

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