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北京五輪野球「タイブレーク制」導入は日本の陰謀?

イ・スンヨプの謎

〜シリーズ「北京五輪」(3)〜

Originally written: Aug. 04, 2008(mail版)■イ・スンヨプの謎〜週刊アカシックレコード080804 ■
Second update: Aug. 04, 2008(Web版)

■イ・スンヨプの謎〜週刊アカシックレコード080804■
北京五輪野球「タイブレーク制」導入は日本の陰謀か。また、2008年4月に絶不調で2軍落ちし、7月に1軍復帰して本塁打を打ったイ・スンヨプ(巨人)が北京五輪野球韓国代表チームに参加するが、彼は日本代表(星野JAPAN)の脅威になるのか。
■イ・スンヨプの謎〜シリーズ「北京五輪」(3)■
●日本の陰謀?●

■イ・スンヨプの謎〜シリーズ「北京五輪」(3)■
【小誌2007年2月22日「北朝鮮の北〜シリーズ『中朝開戦』(1)」は → こちら
【小誌2007年3月1日「脱北者のウソ〜シリーズ『中朝開戦』(2)」は → こちら
【小誌2007年3月8日「戦時統制権の謎〜シリーズ『中朝開戦』(3)」は → こちら
【小誌2007年3月18日「すでに死亡〜日本人拉致被害者情報の隠蔽」は → こちら
【小誌2007年4月14日「国連事務総長の謎〜シリーズ『中朝開戦』(4)」は → こちら
【小誌2007年5月14日「罠に落ちた中国〜シリーズ『中朝開戦』(5)」は → こちら
【小誌2007年5月21日「中国の『油断』〜シリーズ『中朝開戦』(6)」は → こちら
【小誌2007年6月7日「米民主党『慰安婦決議案』の謎〜安倍晋三 vs. 米民主党〜シリーズ『中朝開戦』(7)」は → こちら
【小誌2007年6月14日「朝鮮総連本部の謎〜安倍晋三 vs. 福田康夫 vs. 中国〜シリーズ『中朝開戦』(8)」は → こちら
【小誌2007年7月3日「『ニセ遺骨』鑑定はニセ?〜シリーズ『日本人拉致被害者情報の隠蔽』(2)」は → こちら
【小誌2007年9月13日「安倍首相退陣前倒しの深層〜開戦前倒し?〜シリーズ『中朝開戦』(9)」は → こちら
【小誌2007年10月6日「拉致問題依存症〜安倍晋三前首相退陣の再検証」は → こちら
【小誌2007年10月22日「軽蔑しても同盟〜シリーズ『中朝開戦』(11)」は → こちら
【小誌2007年11月16日「先に『小連立』工作が失敗〜自民党と民主党の『大連立政権構想』急浮上のウラ」は → こちら
【小誌2007年12月21日「大賞受賞御礼〜メルマ!ガ オブ ザ イヤー 2007」は臨時増刊なのでWeb版はありませんが → こちら
【小誌2008年2月1日「ヒラリー大統領〜2008年米大統領選」は → こちら
【小誌2008年2月18日「毒餃子事件の犯人〜チャイナフリー作戦〜シリーズ『中朝開戦』(12)」は → こちら
【小誌2008年3月6日「中朝山岳国境〜シリーズ『中朝開戦』(13)」は → こちら
【小誌2008年3月17日「女は女を理解できない?〜朝ドラ視聴率低迷の意外な理由」は → こちら
【小誌2008年3月31日「謎の愛読書群〜シリーズ『ロス疑惑』(1)」は臨時増刊なのでWeb版はありませんが → こちら
【小誌2008年4月1日「拝啓 三浦和義様〜シリーズ『ロス疑惑』(2)」は臨時増刊なのでWeb版はありません。】
【小誌2008年4月25日「捏造政局〜『支持率低下で福田政権崩壊』報道のウソ」は → こちら
【小誌2008年5月26日「媚日派胡錦濤〜『福田康夫は親中派』報道のデタラメ」は → こちら
【小誌2008年6月30日「機密宣伝文書?〜『対北朝鮮・中国機密ファイル』の撃」は → こちら
【小誌2008年7月7日「星野JAPAN 1.1〜シリーズ『北京五輪』(1)」は → こちら
【前回「謎のウィルス感染〜シリーズ『北京五輪』(2)」は → こちら

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イ・スンヨプ(李承ヨプ)は韓国プロ野球界(韓国野球委員会、KBO)のサムスンライオンズでは年間50本以上の本塁打を打ったことのある「大砲」だったので(1999年に54本、2003年に56本)、2003年シーズン終了後、自信満々で米大リーグ(MLB)に自らを売り込んだ。ところがMLBの球団はどこもまともに相手にせず(極めて安い年俸でマイナーリーグ選手として契約してもいいと言った球団が1つあったが、あまりに屈辱的だったのでそれは断り)、仕方なく2004年から日本プロ野球組織(日本野球機構、NPB)パ・リーグの千葉ロッテマリーンズ(ロ)に入団した。2006年にはセ・リーグの読売巨人軍(巨)に移籍し、こんにちに至っている。
以下は、彼の日本での、シーズン中(ペナントレース)の年度別打撃成績である(2008年度は7月29日まで):

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【イ・スンヨプの年度別打撃成績(1軍公式戦)】
年度 球団 試合 打数 安打 打点 本塁 打率
2004 100 333 _80 _50 14 .240
2005 117 408 106 _82 30 .260
2006 143 524 169 108 41 .323
2007 137 541 148 _74 30 .274
2008 _18 _64 __9 __5 _1 .141
[資料:NPB Web 2008年7月29日「個人年度別成績 李承ヨプ(読売ジャイアンツ)」

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●アジアの大砲?●
ロッテ入団当初、イ・スンヨプはパ・リーグの1軍投手がまったく打てず、ファーム(2軍)に落とされた。その後なんとか這い上がって1軍の試合に出たものの、祖国で活躍したときのように四番打者やクリーンアップトリオを務めることはできず、七番打者に甘んじた。彼は2年間ロッテに在籍し、2年目には成績も向上したが、それでも打率.260、82打点、本塁打30本に留まり、2005年のシーズン終了後、彼はロッテを退団した。

その彼を、なぜかセ・リーグの巨人が獲得した。
その移籍決定後に開催された2006年3月のワールドベースボールクラシック(WBC)では、彼は韓国代表チームの三番打者として出場し、日本代表(王貞治監督率いる王JAPAN)の投手を相手に、一次リーグ(L)、二次L、準決勝の3試合で対戦した…………が、結果は(11打数)1安打しか打てずに終わった(日本野球機構Web 2006年3月20日「'06年 WORLD BASEBALL CLASSIC 試合結果」)。

理由は単純明快だ。王JAPANには、イ・スンヨプのロッテ時代の同僚、里崎智也捕手(現在もロッテに所属)がいたからだ。当時、里崎がTVカメラの前で

「スンちゃんは、どこに投げれば打たれないか、完全に(弱点が)わかっているので、そこ(弱点のコース)ばかり狙って(投手に)投げさせればいいんだ」

と豪語したことでも明らかなように、イ・スンヨプはほぼ完璧に王JAPANの投手陣に抑え込まれた。イ・スンヨプが王JAPANの投手陣から打ったただ1本のヒットが本塁打だったので「日本に強い」と誤解している野球ファンもいるが、実は、そのとき打たれた石井弘寿投手(東京ヤクルトスワローズ)は怪我をしており、その登板を最後に王JAPANを離脱している。

つまり、イ・スンヨプは、怪我人の失投を本塁打にしたのを除くと、他の打席はすべて打ち取られたのであり(とくに準決勝では4打数0安打3三振に終わり、ほとんどまともにバットに当てることもできなかったのであり)、「日本のプロ野球で通用する実力がない」と言われても仕方がないほどのレベルだった。
が、日本戦以外ではヒットを量産し、WBCのベストナインに選ばれたため、この時点では一部の専門家以外、その真の実力には気付かなかった。

案の定、イ・スンヨプは、2006年の日本のプロ野球シーズンが始まると、巨人の四番打者として起用されたにもかかわらず、すぐにレベルの低さを露呈した。2006年4月は、前半こそ高打率を記録したものの、後半に失速して打率が急降下し、祖国の新聞には(セ・リーグ各球団に弱点を見破られた結果)「絶不調に陥った」と書き立てられた。

韓国の新聞、朝鮮日報は、スポーツ報知の記事を引用し、王JAPANで里崎のチームメイトだった広島東洋カープの黒田博樹投手が、膝元に落ちるスライダーと外角高めの速球でイ・スンヨプを2打席連続三振に仕留めた例を挙げ、「膝元に落ちる変化球を決め球にされる」と弱いようだと紹介した(朝鮮日報日本語版2006年4月28日付「野球 弱点バレた? イ・スンヨプ絶不調」)。

しかし、5月になると、イ・スンヨプはの打率は再び上がり始める。
そして、5月後半なると、セ・リーグとパ・リーグの交流戦が始まり、彼の所属する巨人も、2005年まで彼が所属していたロッテと対戦することになった。

となると当然、ロッテは里崎を先発捕手に起用し、里崎は自軍の投手をイ・スンヨプの弱点、つまり絶対に打てないコースを突く投球をするようにリードする。両球団の交流戦は巨人側の本拠地、東京ドームでの3連戦が最初だったが、里崎にはイ・スンヨプを抑える自信があったはずだ。

ところが、その3連戦の初戦、5月26日、意外なことにイ・スンヨプは打てないはずのコースの投球(筆者の記憶では外角高めの速球)をもののみごとに打ち返し、二塁打を放った。そしてその翌27日、翌々日28日には2日連続で本塁打すら放った。つまり、2006年4月まで打てなかったコースが、2006年5月以降、突然打てるようになっていたのだ。

その後の2006年のシーズンでは、イ・スンヨプはそのまま打ち続け、シーズン終了時には、年間本塁打が41本に達し(打率.323、108打点)、押しも押されもせぬ、巨人の四番打者になっていた。この年、巨人の試合はほぼ全試合、韓国でTV中継されていたので、彼は祖国のファンに対して十分に面目を保つことができた。

この年のシーズン終了後、巨人はイ・スンヨプと、2010年までの4年間で年俸などの総額が30億円という、松井秀喜外野手(現ニューヨークヤンキース)の巨人時代の年俸をも上回る破格の契約を結んだ(スポーツナビ+スポーツ病療養記2006年11月6日「イ・スンヨプの大型契約に物申す!!」)。

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【スポーツナビ+気になるスポーツ情報2006年12月7日「年俸についての不平等」)は、MLBで標準化されている「守備位置別の打撃成績評価」を紹介しつつ、守備の簡単な一塁しか守れないイ・スンヨプが4年で30億円もらえるなら、守備の難しい遊撃手を務める巧打者の井端弘和(中日ドラゴンズ)などはそれ以上の金額がもらえるはずだ、と述べており、興味深い。】

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ところが、2007年シーズンが始まると、イ・スンヨプは2006年ほどには打てなくなった。打率が低迷し、打順を四番から六番に下げられ、夏にはとうとう2軍に落とされた。その後、1軍に復帰し、打順も四番に戻ったが、チャンスに弱く、とくに一流投手に弱く、2006年に見せたような打棒を披露することはできないままに終わった。
2007年シーズン終了時の成績は、打率.274、74打点、本塁打30本に終わり、パ・リーグにいたとき、つまり七番打者だったときの成績に戻ってしまった。

つまり、イ・スンヨプが巨人の四番打者にふさわしい打力(打率.300、本塁打40本前後)を持っていたのは、2006年5月からシーズン終了までの、たった5か月間だけなのだ(これを「一流時代」と呼ぶことにする)。それ以外の期間(「二流時代」とする)は、打率.280以下、本塁打30本以下の、六番打者か七番打者にふさわしい力しか発揮していない。
この理由は至って簡単で、「二流時代」の彼は、制球力のある日本の一流投手に、内閣低め(膝元)と外角高め(ボールになるコース)に、変化球と速球を投げ分けられると、いとも簡単に三振する「扇風機」だからだ。

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●世界の大砲?●
2007年のシーズンを「二流」として終えたイ・スンヨプは、怪我を理由に、2007年12月に台湾で行われた北京五輪野球アジア地区最終予選(アジア野球選手権)では、韓国代表としての出場を断った。

が、イ・スンヨプは、アジア最終予選で2位になった韓国が出場した、2008年3月7〜14日の世界最終予選には、韓国代表チームの四番打者(または三番打者)として参加した。
台湾で行われたこの大会には、韓国、台湾のほか6か国(地域)が出場し、合計8か国で残り3か国になった北京五輪本大会出場枠を争ったが、韓国は南アフリカ共和国、オーストラリア(豪州)、メキシコ、スペイン、ドイツに5連勝してあっさり本大会出場権を獲得した(国際野球連盟Web 2008年3月14日「2008 FINAL OLYMPIC QUALIFYING TOURNAMENT HOME」)。

イ・スンヨプも、最終戦の台湾戦を含むほとんどすべての試合でヒットを打ち、23打数11安打12打点、打率.478、本塁打2本(二塁打3本、4三振)の好成績を上げた(国際野球連盟Web 2008年3月14日「2008 FINAL OLYMPIC QUALIFYING TOURNAMENT TEAMS KOREA」)。

しかし、ただ1試合、カナダ戦ではまったく打てず、4打数0安打3三振と、まさに「扇風機」状態だった(国際野球連盟Web 2008年3月13日「2008 FINAL OLYMPIC QUALIFYING TOURNAMENT SCORES BOX_SCORE KOREA 3-4 CANADA」、中央日報日本語版2008年3月14日付「野球 韓国、カナダ本塁打2本で6連勝ならず」)。

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●星野JAPANの脅威?●
世界最終予選のあと、イ・スンヨプは巨人(1軍)に合流し、2008年シーズンの開幕戦から先発メンバー(スタメン)として試合に出た。
が、また「絶不調」に陥った。開幕から13試合の成績は、52打数7安打2打点、打率.135、本塁打0本(12三振)という惨憺たるもので、結局4月14日からスタメンをはずされ、同時に2軍に落とされた (NPB Web 2008年7月29日「個人年度別成績 李承ヨプ(読売ジャイアンツ)」)。

2軍に落ち、2軍のリーグ、イースタンリーグの試合に出ると、イ・スンヨプの打棒は復活(?)した(中央日報日本語版2008年7月22日付「野球 李承ヨプが本塁打…五輪控え打撃感戻す」、同7月23日付「野球 李承ヨプ、2軍で2試合連続の本塁打」)。

彼は2008年シーズンは、7月24日まで37試合に出場し、117打数38安打22打点、打率.325、本塁打7本を記録し(NPB Web 2008年7月29日「2008年度 読売ジャイアンツ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)」)、まさに「2軍の四番」にふさわしい大活躍だった。
(>_<;)
この「大活躍」を巨人(1軍)の原辰徳監督が評価したのかどうかはよくわからないが、7月25日、巨人はイ・スンヨプを1軍に上げ、対ヤクルト戦のスタメン、六番一塁で起用した。
すると、復帰初日と翌26日はヒットがなかったが、27日にはセンターオーバーの大きなソロホームランを放った。
28〜29日の対広島戦は先発投手が左投手だったため、原監督が「左対左は打者が不利」という野球のセオリー(常識)を考慮したのか、左打者のイ・スンヨプはスタメンをはずされた。
復帰後、この29日までのイ・スンヨプの成績は、5試合で、12打数2安打3打点、打率.167、本塁打1本だった。

しかし、スポニチWeb版(2008年7月28日)は、7月27月の大本塁打をイ・スンヨプの打棒復活ととらえ「星野ジャパンにとって大きな脅威」になると報じた(中央日報日本語版2008年7月28日付「日本メディア『李承ヨプ、星野ジャパンの大きな脅威に』」)。
彼はまた、その翌日の28日の広島戦には代打で出て、2点タイムリーヒットを打っているので、たしかに27日の本塁打をきっかけに「かつての打棒が復活した」と解釈してもいいのかもしれない。

このイ・スンヨプが、北京五輪野球韓国代表チームに参加し、2008年8月16日、五輪本大会一次L(予選L)で、星野仙一監督率いる日本代表(星野JAPAN)と対戦する。
では、2008年8月現在のイ・スンヨプが、星野JAPANの脅威になるかというと…………答えは「NO」だ。

たしかに彼の打力は復活した。しかし、2006年の「一流時代」の打棒が復活したわけではない。その証拠に、相手投手の左右にかかわらずほぼ1年間スタメンで出場し続けた2006年当時と違って、今年2008年は、原監督は、対戦相手が左投手を出して来ると、イ・スンヨプをベンチに引っ込める。

おそらく、復帰後のイ・スンヨプは1年間120試合ぐらいスタメンで出れば、2005年や2007年と同様に、本塁打30本ぐらい打つ力はあるだろう。但し、その30本の大半は、2008年7月27日のヤクルト戦の本塁打のように、試合の勝敗にあまり関係ない、どうでもいい場面での、主としてエース級でない投手の投球を打ったもの、あるいは、2006年WBCの日本戦の本塁打のように、失投を打ったもの、ということになるだろう(Yahoo!プロ野球 - 2008年7月27日「巨人vs.ヤクルト 成績」)。

そして、その程度の打力なら、制球力のある、日本球界のエースを揃えた星野JAPANの一流投手陣にとっては、なんの脅威にもならない。なぜなら、星野JAPANには、「二流時代」のイ・スンヨプの弱点を知り尽くした里崎がいるからだ。

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【筆者は、イ・スンヨプ復帰後の5試合のうち4試合をTVで見たが、なんとなく、原監督は、もうイ・スンヨプをほとんど使いたくないのではないか、という気がした。
つまり、「左対左」を理由に仕方なくときどき引っ込めているのではなくて、(元々1試合も出したくないのだが、巨人が韓国のTV局から巨人戦の中継放送権料を受け取ってしまっているので)仕方なく右投手のときにはスタメンや代打で出すもの、「左対左」などの口実がみつかると、「これ幸い」とばかりにベンチに引っ込めているように見えるのだ。
その証拠に、7月26日のヤクルト戦では、五回表ヤクルトの攻撃中、巨人の先発投手エイドリアン・バーンサイド(豪州)を降板させて、リリーフ(救援)投手の越智大祐と替える際、バーンサイドの打順(九番)に三塁手の二岡智宏を、一塁手のイ・スンヨプの打順(六番)に越智を入れ(三塁手だった小笠原道大を一塁手にまわし)、「守備固め」を口実にしてイ・スンヨプを引っ込めてしまったからだ(この時点で、ヤクルトの投手は右投げの増渕竜義だった(Yahoo!プロ野球 - 2008年7月26日「巨人vs.ヤクルト 成績」)。】

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●2006年の謎●
ところで、2008年のイ・スンヨプにはなぜ「一流時代」の打棒が復活しないのだろう。いや、それ以前に、そもそも2006年5〜10月に限っては、なぜ彼は別人のように打棒が爆発したのだろう。

この謎を解くカギは、意外に思われるだろうが、北海道日本ハムファイターズ(日)のフェルナンド・セギノール内野手(2002年はオリックスブルーウェーブ、2008年8月から東北楽天ゴールデンイーグルス)にある。

彼の年度別打撃成績は以下のとおり:

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【セギノールの年度別打撃成績(1軍公式戦)】
年度 球団 試合 打数 安打 打点 本塁 打率
2002 _89 280 _57 _47 23 .204
2004 125 443 135 108 44 .305
2005 133 489 141 _86 31 .288
2006 132 540 143 _77 26 .295
2007 134 546 117 _68 21 .249
[資料:NPB Web 2008年7月29日「個人年度別成績 セギノール(北海道日本ハムファイターズ)」

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セギノールはパナマ人だが、2006年WBCにパナマ代表として出場することはなかった。
彼は2006年シーズン中は上記のように、日本ハムの四番打者として、打率.295、77打点、本塁打26本の成績を上げ、チームをリーグ優勝、日本シリーズ制覇に導いた。

日本シリーズに勝ったチームは、11月に行われるコナミカップ(コナミ杯、アジアシリーズ)に出場し、韓国や台湾の国内リーグのチャンピオンと戦うことになる。が、なぜかセギノールは日本シリーズ後に家族に会うために渡米し、当初はコナミ杯前に再来日するはずだったのに、「パスポートの期限切れが判明、発給手続きに時間がかか」っているという理由で再来日せず、コナミ杯を欠場した(北海道新聞2006年11月8日付朝刊21面「プロ野球 アジアシリーズあす開幕 日ハムファイターズ 八木で行く」)。

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【日本ハムはセギノールを欠いたが、結局コナミ杯で優勝した(読売新聞Web版2006年11月10日「ラニュー対日本ハム 詳細情報:試合結果:アジアシリーズ」)。】

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翌2007年、セギノールは引き続き日本ハムに在籍したが、打率、打点、本塁打ともに2006年を下回り、2007年のシーズンおよび日本シリーズが終了すると、日本ハムから解雇された(2007年のコナミ杯には、日本シリーズで日本ハムを倒したセ・リーグの中日が出場し、優勝)。

さて、なぜセギノールは2006年のコナミ杯を「パスポートが期限切れのため、母国でない米国で発給申請中」などという珍妙な理由で欠場したのか…………渡米する前に、日本にいる間にパスポートを一度も見なかったのか…………。
ほかにもっと合理的な理由があるのではないか。たとえば、2006年のシーズン中の試合や日本シリーズのような国内試合とは異なり、国際試合であるコナミ杯では、国際試合につきものの「ある手続き」が行われるが、それこそがセギノールのコナミ杯欠場の真の理由ではないのか。

この「手続き」は2006年当時は、NPBでは国内試合では実施しないことになっていた(MLBはそれ以前から国内試合でも実施していたが、あまり厳格ではなかった)。だから、2006年のセギノールは、この「手続き」を免れた状態で、4〜10月に日本国内の試合でガンガン打ちまくっていたのだろう。

これはイ・スンヨプについてもあてはまる。
彼が2006年3月に出場したWBCは、MLBの主催だが、国際試合なので、上記の「手続き」が行われた。韓国代表としてWBCに出たイ・スンヨプも、この「手続き」を意識しつつ、日本と3試合戦った結果、上記の如く、11打数1安打(4三振。打率.091)の「扇風機」状態だった。

この「手続き」のない、NPBのシーズン中の国内試合では、イ・スンヨプは既述のとおり、2006年5〜10月に巨人の四番として大活躍した。
が、巨人が優勝しなかったため、彼は同年11月のコナミ杯には出場しなかった。
また、同年12月には、カタールのドーハでアジア大会という国際試合が行われたが、その野球競技の韓国代表として、彼が参加することもなかった。
つまり、2006年11〜12月に、彼は「手続き」のある試合には出ていないのだ。

その後、NPB、MLBともにこの「手続き」についての方針を、より厳格な方向に変えたため、2007年以降は、これはかなり厳格に実施されることになった。そのせいか2人とも、2007年の成績が2006年に比べて大きく悪化している(とくにセギノールの打率は、2006年の.295から2007年の.249へと下がっており、凋落が著しい)。

つまり、2006年4〜10月は、イ・スンヨプにとってもセギノールにとっても、この「手続き」に煩わされることなく(自由に?)活躍することのできた最後のチャンスだったのだ。

2008年3月の世界最終予選は、国際試合なので、当然この「手続き」が行われたが、その際、イ・スンヨプは南アフリカやドイツが相手の試合では打ちまくったものの、MLB傘下のマイナーリーグの3A、2Aなど、大リーガーになれそうな潜在力のある投手を多数擁するカナダとの試合では、4打数0安打(3三振)だった。

その後、イ・スンヨプは日本の2軍の試合では3割以上の高打率をマークしているが、2軍の試合は1軍の試合ほど緻密ではないので、この高打率は彼の打棒の復活を意味しない。つまり、2軍では、1軍のように、大勢の「先乗りスコアラー」が次の対戦相手の試合を偵察して、相手打者の弱点を探る、といったことは行われないので、イ・スンヨプは自分の弱点を知らない2軍の投手を相手にヒットを量産することができたのだ。

他方、カナダ代表チームは、代表チームである以上、国家の威信を賭けて勝利をめざすために、対戦前にスコアラーを日本や韓国に派遣して、対戦相手の打者のデータを収集する。したがって当然、カナダ代表チームはイ・スンヨプの弱点を探り当てることができ、それを制球力のある3Aクラスの投手たちに教えてマウンドに送り出せば、彼を4打数0安打に抑えることぐらいはできる。というか、じっさい、そうしたに違いないのだ。

そして、もちろん北京五輪本大会も国際大会なので、問題の「手続き」はある。
過去の例を見る限り、イ・スンヨプは、前後にこの「手続き」のある試合が控えている場合は、先乗りスコアラーから対戦相手の情報を得ているチームの、制球力のある投手を打つことはできない(彼はWBCの米国戦では打っているが、このときの米国代表チームはろくに合宿もしない「寄り合い所帯」であり、元巨人内野手のデーブ・ジョンソン監督が率いる北京五輪野球米国代表チームのような、綿密なチーム作りは行われていなかった)。
したがってイ・スンヨプは、北京五輪本大会一次Lの、日本戦、カナダ戦はもちろん、米国戦、キューバ戦でも、ほとんど打てないだろう(中国戦、オランダ戦ではガンガン打てるだろう)。

では、その「手続き」とはいったい何か…………それは筆者にはもちろんわかっているが、それをここで書くと、名誉毀損になる恐れがあるので、書けない。
(>_<;)

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【2007年11月某日配信の小誌記事で示唆したように、星野監督はこの問題を見破る目を持っている。筆者が星野監督を、日本代表の、つまり国際試合の監督にふさわしいと考える理由は、まさにこれなのだ。だから、星野JAPANの「イ・スンヨプ対策」について、筆者は心配していない。】

【いまや、野球は、サッカーと同様に、国境を越えて大勢の選手が移籍する国際スポーツビジネスの1つになったのだから、この「手続き」のことを知らないようでは、元プロ野球選手の評論家といえども、国際試合の解説を的確に行うことはできない。だから、星野監督の采配を批判したい評論家や記者は、まずその前に、こういった「国際スポーツビジネスの基礎」を学んでもらいたい。】

【巨人は2007年1月、「育成コーチ」(のちに打撃コーチに配置転換)としてKBOのサムスンでイ・スンヨプのチームメイトだったキム・キイテ(金杞泰)元内野手を招聘した(読売新聞2007年1月18日付21面「巨人の新育成コーチに金氏/プロ野球」、スポーツ報知2007年10月30日付5面「巨人・金杞泰育成担当コーチが打撃コーチに配置転換」)。
2008年4月、イ・スンヨプが2軍落ちした直後には、「研修コーチ」(2軍打撃担当)として同じくサムスンでイ・スンヨプのチームメイトだった、キム・ジョンフン(金鐘勲)元外野手を迎えると発表した(読売新聞2008年4月15日付朝刊25面「巨人の研修コーチに金氏/プロ野球」)。
この2人のコーチが通訳なしで話せる選手がイ・スンヨプしかいないため、彼らは事実上、イ・スンヨプ個人の「専属コーチ」だが、これはNPBでもMLBでもほかに類例のない、一般の野球ファンから見ると、ほとんどカネの無駄としか思えない、破格の待遇である。
が、その専属コーチの役割が、イ・スンヨプが例の「手続き」を無事に切り抜けられるように「あることをやめるタイミング」や「それをやめたあとの練習方法」を助言すること、あるいは「手続きに必要なものを本人に代わって提出すること」だとすれば、非常によく理解できる(万一イ・スンヨプが「タイミング」を間違えると、巨人の歴史に傷が付くのだから)。】

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●こわいのはバントだけ●
もしも筆者が韓国代表チームの監督なら、北京五輪本大会の日本戦(とカナダ戦)では、イ・スンヨプをスタメンからはずす。

あるいは、万が一スタメンで出す場合でも、彼にはバントをしてもらう。ノーアウト(無死)で一塁に走者がいる場合の送りバントや、無死または一死で走者が三塁にいる場合のスクイズは当然だが、走者がいない場合でも、彼にはセフティバントを命じたい。日本の三塁手が、国際試合慣れした宮本慎也(ヤクルト)ではなく、村田修一(横浜ベイスターズ)や中島裕之(埼玉西武ライオンズ)である場合は……日本人にはイ・スンヨプがセフティバントをするというイメージがまったくないだけに……案外成功するのではあるまいか。

そうなった場合、日本内野陣があわててエラーをしては困るが、彼のバントそのものは、なんとなく見てみたい気もする。
(^^;)

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●おびき出し作戦●
さて、北京五輪を終えて巨人に戻ったあと、2008年シーズンの後半戦でイ・スンヨプはどのような「活躍」を見せるであろうか。

これを予測するうえで、興味深かったのが、2008年7月29日の「広島対巨人」戦における、広島のマーティ・レオ・ブラウン監督の投手起用だ。

七回表巨人の攻撃中、無死一、二塁の好機に、打順が九番(投手)にまわると、原監督は、代打に左打ちの亀井義行を送った。すると、ブラウン監督は、左打者を抑えるにふさわしい左投手がいたにもかかわらず、敢えて左打者に不利とされる右横手投げの梅津智弘を救援投手としてマウンドに送り出した(この時点で、亀井がバントで走者を二、三塁に進めたあと、左打者のイ・スンヨプが代打で出て来ることが予想された。理由は後出)。

結局、亀井は、バントの構えはしたものの、バントはせず、レフトフライに倒れて、一死一、二塁となった。
マウンドには左に弱いはずの梅津がおり、打順は一番、この日3打数0安打2三振の鈴木尚広にまわっている。そして、巨人は韓国のTV局から多額の放送権料をもらっている。となると、原監督は、ここで左打ちのイ・スンヨプを代打に出さないわけにはいかない。
そして、彼が鈴木尚広の代打で出て来た。しかし、ブラウン監督は、梅津を左投手と交代させることはなく、続投させた。

梅津の広島カープの先輩には黒田博樹投手(現ロサンゼルスドジャース)がいる。黒田は既述の如く、2006年4月にイ・スンヨプから連続三振を奪っており、そのときの配球データは確実に広島球団に蓄積されているはずだ。

そして、案の定、このときの梅津も、かつての黒田と同じように、膝元の変化球と外角高めの速球を左右に投げ分けてイ・スンヨプを三振に仕留めた(Yahoo!プロ野球 - 2008年7月29日「広島vs.巨人 成績」)。

とすると、巨人と対戦するチームは、イ・スンヨプを抑えるために左投手を出さないほうがいいだろう。なまじ左投手を出すと、原監督は「左対左」を口実にイ・スンヨプを引っ込めて、たとえば二岡のような、力のある右打者と替えてしまう恐れがあるからだ。
上記のブラウン監督の采配のように、巨人戦には、わざと右投手を多めに起用して、なるべく多くイ・スンヨプを打席に立たせて、彼に三振の山を築いてもらったほうがトクではないか。

【日本語の俗語では、こういう選手のことを「安全パイ」と呼ぶ。】
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この「おびき出し作戦」は、当然、星野監督にも参考になる。
すなわち、イ・スンヨプを抑えるには左投手は必要ないのであり、「日本対韓国」戦の日本のピンチで、マウンドに右投手がいて、イ・スンヨプに打順がまわった場合に、星野監督が敢えて右投手を続投させたり、右投げの救援投手を投入したりする可能性は当然ある。

だから、オリンピックをTV観戦する日本の野球ファンの皆さん、たとえ星野監督が韓国戦でそういう采配をしても、けっして「ほしのーッ、ダメだー!」「○○を引っ込めろー!」などと思ったり怒鳴ったりしないように。
(^_^)

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●日本の陰謀?●
話は変わるが、国際野球連盟(IBAF)は、北京五輪野球参加国すべてが代表選手を発表したあとの2008年7月25日、北京五輪本大会開幕のわずか2週間前になって突然、本大会のルールを改正してタイブレーク(TB)制を導入すると発表した。
これは、延長10回を終えて同点の場合、攻撃側は10回終了時点のオーダーから任意の打者を選んで、その直前の打順の2人がその順番に出塁した状態、つまり無死一、二塁の状態で攻撃を開始する、というものだ。目的は、延長11回以降に得点のはいりやすい状況を作って、試合時間を短縮し、TV放送時間枠の設定をやりやすくすることにある(中日新聞Web版2008年7月27日「五輪野球『タイブレーク制』導入 星野監督怒った」)。

星野JAPANの場合、10回終了時点のオーダーが「九番川崎宗則(福岡ソフトバンクホークス)、一番西岡剛(ロッテ)、二番宮本慎也(ヤクルト)、三番青木宣親(ヤクルト)」であって、日本が先攻なら(日本は、本大会一次Lのキューバ、台湾、カナダとの試合では先攻)、九番と一番を塁に出して、二番にバントさせて、一死二、三塁にしてから攻めるだろうし、後攻でも(点差が2点以内なら)同じようにするだろうし、他のチームもそうするだろう。

この場合、内野のバントシフトがカギになる。もし、星野JAPANが代表選手24名を発表する前にTBルールの導入が発表されていたら、星野監督は三塁手としての守備も、打者としてのバントもあまりうまくない中島裕之(西武)をはずし、代わりにその両方が得意な井端弘和(中日)を(小誌の事前の予測どおりに)選んでいたのではあるまいか(中島は7月31日のオールスター戦でも三塁手としてエラーをしている)。選手のモチベーションの問題があるので、いまさら井端と交代させるわけにはいかないだろうが、気になる。

ただ、北京五輪のTBは、日本の社会人野球のそれのように「一死満塁」から始めるのでなく、「無死一、二塁」から始めるというところがミソだ。「一死満塁」方式だとバントをする必要がないので、バントの下手なチームも不利にならないが、「無死一、二塁」ではバントの失敗が命取りになる。

また、ソフトボールのように「無死二塁」から始めるのでなく「無死一、二塁」つまり、走者2人から始める点も重要だ。星野JAPANでは、上記のように、川崎、西岡、宮本、青木、荒木雅博(中日)など俊足でバント(スクイズ)のうまい選手が多く、しかも彼らの打順が3〜4人連続すると考えられるので、俊足の選手で塁上を埋めることができ、先攻なら大量点も狙えるが、他のチームはそうはいかない。

ちなみに、2006年WBCの各チームの盗塁数は、日本13、米国1、キューバ3、カナダ2、韓国2、台湾3なので(NPB Web 2006年3月20日「'06 WORLD BASEBALL CLASSIC 国別チーム成績」)、「足」がものをいう方式なら、明らかに日本に有利である。これが、もしも「無死二塁」方式なら、俊足の選手は1人いればよいので、他チームにも平等だったはずだ。

実は、TB方式を(2008年4月に)IBAFの会議で紹介したのは、IBAF第一副会長でもある全日本アマチュア野球連盟会長なので(朝日新聞Web版2008年7月29日「タイブレーク、日本が紹介? 野球連盟『まさか五輪で』」)、もしかすると、このルール改正を考え出したのは、五輪の日本向けTV放送権を取り扱う、日本の某大手広告代理店ではあるいまいか。

五輪野球には大リーガーが出ないので、米国やカナダや(キューバを除く)中南米諸国は関心がないし、欧州では元々野球は人気がない。とすれば、五輪野球中継の最大の「市場」である日本には、相当な発言力があるはずだ。
そもそも(人気競技同士が互いに裏番組にならないようにするために)「放送時間枠の設定」に苦労する国は、もっとも試合に時間のかかる野球を含むあらゆる競技にエントリーしている日本ぐらいしかないわけで、日本人以外にこんなことを考え出す者がいるとは思えない(米国で人気の水泳と陸上は競技実施日がほとんど重ならないし、米国人は卓球、柔道、サッカーにはあまり関心がないが、日本はこれらすべてに加えて体操、バレーボール、レスリングにまで関心がある)。

野球のタイブレーク方式は、サッカーで言えばペナルティキック(PK)戦である。国際サッカー連盟(FIFA)主催試合のアジア向けTV放送権も扱う某広告代理店が考え出したとしても、不思議ではない。

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いや、待てよ。
星野監督は、当初は日本代表の投手陣は11人と言っていた。これは、TB制がなく、事実上「延長回数無制限」で大勢の投手が必要になりそうだったアテネ五輪本大会で投手コーチを務め、今回星野JAPANでも同じ役を務める大野豊コーチの意見でもあったはずだ。
しかし、星野監督は、TB制導入発表前の7月7日、突如「投手を10人にするかもしれない」と言い出している(デイリースポーツWeb版2008年7月8日「先発5人→4人へ…星野監督が明かす」)。
理由は、アテネ五輪本大会のときの記録を見直したら11人のうち2人はほとんど投げていなかったから、とされているが(デイリースポーツ前掲記事)、それはたまたま、アテネで「延長18回」まで続くような試合がなかったから、そうなっただけのことだ。TB制の導入がなければ、投手が11人でも足りない事態が北京でもありえたのに、星野監督はなぜTB制導入発表前の7月17日に「投手10人」の陣容を決定して発表したのか。

7月17日に投手10人を含む24人の最終メンバーを発表した際、星野監督は、新井貴浩(阪神タイガース)ら野手に怪我人が多いので野手を1人増やすため投手を1人減らした、という趣旨の説明をした(スポーツ報知Web版2008年7月17日「星野ジャパン、新井・稲葉故障で野手枠1人増へ」)。が、新井の腰痛が深刻であることが判明したのは7月14日であり(デイリースポーツWeb版2008年7月15日「新井、腰痛深刻…それでも『試合出る』」)、星野監督が初めて「投手10人」を口にした7月7日より1週間もあとだ。

もしかすると、星野監督も事前に知っていたのか(つまり、井端を選ばなかったのは、井端の怪我などのほかの理由か)。
もしも事前に知っていながら「五輪の2週間前になって(突然)ルールを変えるなんて、おかしいにもほどがある!」などとマスコミの前で怒ってみせたのなら(中日新聞前掲記事)、彼は相当な役者だ。

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【ちなみに、韓国、台湾、キューバも投手を10人にしているので、彼らも(IBAFや某広告代理店から聞き出して)事前に知っていた可能性がある。他方、米国、カナダの投手は11人なので、こちらは事前に知らなかったと見てよかろう(IBAF Web 2008年7月「2008 Olympic Games」)。】

いずれにせよ、この日本の陰謀(?)のお陰で、韓国の試合が延長11回までもつれこんだ場合には、イ・スンヨプのスクイズが見られる可能性が高くなった。
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【この記事は純粋な「予測」であり、「期待」は一切含まれていない。】

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【中朝国境地帯の情勢については、お伝えすべき新しい情報がはいり次第お伝えする予定(だが、いまのところ、中朝両国の「臨戦体制」は継続中)。】

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