北朝鮮は怯えて「再調査」

出すに出せない安否情報

〜日本人拉致事件〜

Originally Written: May 25, 2004(mail版)■北朝鮮は怯えて「再調査」〜日本人拉致事件■
Second Update: May 25, 2004(Web版)

■出すに出せない安否情報〜日本人拉致事件■
04年5月22日の日朝首脳会談で、金正日・北朝鮮総書記は、北朝鮮による日本人拉致事件の被害者のうち、横田めぐみさんら死亡または行方不明と伝えられている安否不明者10名の「再調査」を約束し、拉致極秘資料の開示を遅らせた。その理由は、10名のうちほんとうに死亡した人の情報を開示した際の、日本の世論の反発がこわいからだ。
■北朝鮮は怯えて「再調査」〜日本人拉致事件■

■北朝鮮は怯えて「再調査」〜日本人拉致事件■
前回 から続く。】
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04年5月22日の小泉首相の再訪朝、日朝首脳会談の結果、北朝鮮の金正日・労働党総書記は、北朝鮮による日本人拉致事件の被害者で、死亡または行方不明と伝えられている「安否不明者」10名の再調査を約束した。

「再調査」といっても、べつに手間のかかる話ではない。北朝鮮は拉致は情報機関の仕業と認めたのだから、その情報機関の持つ(極秘)資料を開示すればいいだけで、金正日が決断すれば一瞬でできることだ。

一説によると、結果的に午前中の1回だけで終わった5月22日の首脳会談は、実は午後にももう1回予定されており、しかも北朝鮮側は「再調査」結果の資料も用意していたとされる(04年5月24日放送のテレビ朝日『スーパーモーニング』での、重村智計・早大教授らの情報)。

では、なぜその「再調査結果」を出さなかったのか?……できれば出したくなかったのだ。では、なぜ「できれば、出さずに済ませたい」のか? その理由は、前回、02年9月17日の小泉訪朝、日朝首脳会談の結果を考えればわかる。

●前回の教訓●
前回、北朝鮮側は日本人拉致事件を自らの仕業と認め、謝罪し、「(拉致した日本人は)5名生存、8名死亡」と(ウソを含めて)日本側に伝え、日朝両首脳は国交正常化交渉の開始に合意し「日朝平壌宣言」に署名し、さらに生存者5名を(一時)帰国させることでも合意した。

ところが、日本の世論は、横田めぐみさんら「8名死亡」の情報に激怒した。これは「誘拐殺人ではないか」というのだ。
当然、そのような恐ろしい国家犯罪をする国に、同胞が捕らわれていていいはずはないから、蓮池薫さんら生存者5名が02年10月に(2週間後に北朝鮮に戻る約束で)一時帰国すると、彼らの家族や国民世論が、一時帰国ではなく永久帰国を求めた。

そして、それは実現した。これによって北朝鮮は、日本では、政府間で合意した約束(一時帰国)が、国民世論の力で覆ることもあるのだ、ということ(民主主義のしくみ)を初めて知った。

国交正常化を進めたい日朝両国政府は、日本の世論を敵にまわし、結局、正常化交渉はまったく進まなくなってしまった。

その後「8名死亡」の証拠として北朝鮮当局が日本側に示した、遺骨、死亡診断書などの「証拠」は矛盾だらけで、捏造であることが明白になり、日本側は150項目におよぶ質問を提出した。そこで、04年5月22日の二度目の小泉訪朝では、その150項目への回答が期待された。

回答は一瞬でできる。手元の資料を出せばいいのだから、再調査などは必要ない。
しかし、拉致事件が盛んだったのは、20数年前だ。拉致当時の年齢が比較的高かった人は、たとえ情報機関に殺害されていなくても、天寿をまっとうしていておかしくないだけの歳月がすでに経過している。

10名全員が生きている、ということはありえない。
つまり、横田めぐみさんから、曽我ミヨシさん(日本に帰国した拉致被害者・曽我ひとみさんの実母)までを含む10名の安否情報を、北朝鮮側が出す、ということは「数名生存、数名死亡」という情報を出す、ということだ。そして「数名死亡」とは、たとえ天寿をまっとうしたのだとしても、被害者家族から見れば「誘拐監禁致死」であり「北朝鮮が殺した」ということになる。

もちろん、その可能性があることを、日本の拉致被害者「家族会」は覚悟している。
が、北朝鮮側はそれを発表した場合の覚悟ができていないのだ。

なぜなら「数名生存、数名死亡」と04年5月22日に発表することは、「5名生存、8名死亡」と02年9月17日に発表したのとほとんど同じことだからだ。そうすると、「数名死亡」の情報は、02年9月と同様に日本の世論を怒らせる可能性がある。

そうなると、国交正常化交渉など不可能だし、たとえ04年5月22日の首脳会談で、日本から北朝鮮に(食糧25万トンや医薬品1000万ドルなど500億円以上の)人道援助をすることで合意したとしても、それが実行されるかどうか、わからなくなる。

●とりっぱぐれ防止●
そうした援助の「とりっぱぐれ」を北朝鮮が恐れるなら……そして、小泉再訪朝を許した最大の理由が、国交正常化ではなく当面の食糧援助を獲得することなら……当然、10名の安否情報はすぐには出せない。

04年の日本の通常国会(本予算を審議する国会)の会期は6月中旬までだが、その中で上記の人道援助予算が(支出名目は予備費で?)承認されるか、または、そういう予算を(通常国会がだめでも秋の臨時国会の補正予算審議などで)承認しそうな自民党(与党)が04年7月の参院選で勝利するのを見届けるまで、北朝鮮政府は、10名の安否情報は出せない。

だから「再調査する」と称して、時間稼ぎをはかったのだ。

これは必ずしも、永遠に時間稼ぎを続けて安否情報を出さない、という意味ではない。
が、北朝鮮側としては、少なくとも1年分の食糧(上記の25万トンが、まさにそれにあたる)を獲得し、「(安否情報公表後に)日本の世論が怒って何も得られなくても、まあ、いいか」と思えるまで、10名の安否情報は出さないだろう。

●苦い現実●
筆者は、けっして「とっくに日本側が得ていて当然の安否情報を得るために、援助を差し出すのがいい」とは思わない。そのような援助は、拉致被害者家族(5月22日に帰国した、蓮池夫妻と地村夫妻の子供計5名)の身代金と受け取られるばかりでなく、安否情報の身代金(代価)にもなるからだ。

しかし、とにかく首脳会談の結果、日本側が援助を渡さない限り安否情報は出て来ず、したがって、新たな生存者の帰国もない、ということになった。

日本国民は苦い現実を直視しなければならない。25万トンの食糧援助を「誘拐犯」に与えないと、横田めぐみさんらの「生存者」は、もうだれ1人帰国できないのだ。

現状では、首相を含む日本国政府高官が北朝鮮側に「約束どおり必ず人道援助をするから、日本の世論を納得させて国交正常化交渉にはいるためにも、すぐに出せるはずの10名の安否情報は、すぐに出してくれ」といくら説得しても、北朝鮮は「その世論を、日本政府は制御できないじゃないか」と思っているので、ムダだ。もう、先に「アメ」を与える以外に、北朝鮮を動かす方法はないのだ。

●たら、れば●
それもこれも、当初04年6月20日に予定されていた再訪朝を、自身の年金スキャンダル( 厚生年金違法加入)から国民の目をそらすために急遽1か月も前倒しした、小泉の拙速な外交の結果だ。西岡力・東京基督教大学教授(拉致被害者を「救う会」副会長)の言うように、小泉は先に経済制裁を発動してから訪朝すべきだった(産経新聞04年5月23日付朝刊5面)。そうすれば、平壌で暴動が起きかねないほどの未曾有の食糧不足に陥っている北朝鮮は、制裁を解除してもらうために(奴隷のようにぺこぺこして?)日本の言うことを聞くほかなかったはずなのだから。

金正日が5月22日の首脳会談を午前中だけで打ち切って、小泉に、曽我ひとみさんの夫ジェンキンス氏に日本への帰国(移住)を決意するよう説得させたのも、そうやって午後の時間を潰させることで、10名の安否情報を出すこと(それによって、日本の世論を怒らせること)を避けたかったから、だろう。

北朝鮮にとって、今回の小泉再訪朝は「人道援助がほしかったら、悪いニュース(10名のうち数名死亡)を出せ」と言われたに等しい。しかし、北朝鮮は「悪いニュースを出せば、援助がもらえない」と思い込んでいるのだから、出したくても出しようがない

●敵と合意する法●
逆に、再訪朝前に、小泉が北朝鮮に経済制裁を課して追い詰めておいてくれれば、北朝鮮の政権内部も「(援助をもらうためではなく)この恐ろしい経済制裁を解除してもらうためには、もう日本の言うことを聞いて、悪いニュースでもなんでも出すしかない」と合意でき、金正日もラクに決断することができたのではないか。

つまり、北朝鮮側に考えさせたり、選択の余地を与えたりしてはいけないのだ。それは、日本のみならず、北朝鮮にとっても、よくないことだ。北朝鮮は独裁国家でテロ国家なのだから、どんなバカな独裁者や悪辣な拉致工作責任者でも同じ意見になるようしてやらなければ、動くに動けないのだ。

交渉ごとは、相手のペルソナ(この言葉については拙著『龍の仮面(ペルソナ)』を参照)を踏まえてするのが、いちばん大切だ。

もちろん、訪朝前に経済制裁を課しておいて「経済制裁解除(アメ)を望むなら、10名の安否情報を出せ」というのも、アメと安否情報の交換(取り引き)であり、道義的には正しくない。しかし、その場合は、先に日本側が(軟弱な「対話」路線でなく)経済制裁という「圧力」をかけているので、拉致被害者「家族会」もいくらか溜飲が下がるし、日本の国民世論も腹の虫がおさまる

日本の世論と北朝鮮当局の思惑と、両方を同時に満足させる「解」は、これしかなかったのではあるまいか。

●逆効果●
おそらく小泉は、北朝鮮側の「苦衷」を察して、北朝鮮側が10名の安否情報を出す前に、人道援助と国交正常化交渉開始という「アメ」を与える、という裏取引をして来たに相違ない。だから「すぐに安否情報を出す」のではなく、わざわざ時間をかける(フリをする)ことのできる「再調査」で合意したのだ。

が、安否情報なしにアメを「前払い」することには、日本国内で、「家族会」、国民世論の納得は得られない。世論どころか、政府・与党の支持も得られない。川口順子外相は、国交正常化交渉の中で安否情報を得ればいい、と言うが(04年5月25日放送のNHKニュース)、すでに04年5月24日、安倍晋三・自民党幹事長と細田博之・官房長官が「正常化交渉の前に安否情報が必要」と述べ、首相の「前払い」を牽制している(産経新聞04年5月25日付朝刊5面)。

【どうせ「裏取引」をするなら、小泉は「日本の世論をなだめるために先に経済制裁を課すが、すぐに解除するから、安否情報の提供ヨロシク」と金正日に持ちかけたほうが、まだマシだったのではないか。小泉が北朝鮮の立場に配慮したつもりで経済制裁を見送ったことで、かえって北朝鮮は苦しくなった、と筆者は考える。これは、拙著『龍の仮面(ペルソナ)』で描いた中国のホンネ(北京五輪前に台湾に独立宣言をしてもらったほうが、中国にとっては、台湾を軍事侵攻しない口実に五輪が使えるので、かえって「あきらめ」がつきやすく、好都合)と相通ずるものがある。】

このままでは、膠着状態に陥ってしまう。
打開策としては、経済制裁の見送りを発表した小泉(と与党自民党)を政権の座から降ろし、民主党政権か何かのもとで、北朝鮮への経済制裁を再検討するぐらいしかないのではないか。

北朝鮮は02年9月17日以来この2年間、日本の民主主義を「学習」したので、「政権が代わったから、小泉の約束はご破算だよ」と言えば、(不満はあるだろうが)いちおう理解はするだろう(但し、「ポスト小泉」を自民党員のなかから決める、自民党内での「政権のたらいまわし」の場合は、北朝鮮は「首相が代わっても小泉時代の約束は有効」と判断する恐れがある)。

(拉致被害者と失踪者以外は敬称略)

【この問題については次回以降も随時(しばしばメール版の「トップ下」のコラムでも)扱う予定です。
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 (敬称略)

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