事情聴取の差

〜シリーズ「イラク日本人人質事件」(8)〜

Originally Written: May 06, 2004(mail版)■事情聴取の差〜シリーズ「イラク日本人人質事件」(8)■
Second Update: May 06, 2004(Web版)

■事情聴取の差〜シリーズ「イラク日本人人質事件」(8)■
04年4月に今井紀明ら3人が誘拐された「イラク日本人人質事件」の人質への、警察の事情聴取は、郡山総一郎に対しては1時間だったが、他の2人に対しては2時間以上かかった。
■郡山が高遠を取材せよ〜シリーズ「イラク日本人人質事件」(8)■

■事情聴取の差〜シリーズ「イラク日本人人質事件」(8)■
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04年4月にフリーライター・今井紀明、ボランティア活動家・高遠菜穂子、フォトジャーナリスト・郡山総一郎の3人が、「サラヤ・ムジャヒディン」(聖戦士旅団、戦士隊)と名乗る犯人グループに誘拐され、犯人が「自衛隊のイラクからの撤退を日本政府に求める」ための人質にされた「(第一次)イラク日本人人質事件」には謎が多く、前回取り上げたように朝日新聞の萩谷順記者も「手紙(犯行声明文)を書いたのはだれか」などと重大な疑問を抱いている(04年5月1日放送のテレビ朝日『やじうまプラス』)。

●人質事件でない●
04年4月30日に今井と郡山が東京で開いた記者会見は、彼らに好意的なジャーナリスト(テレビ朝日『スーパーモーニング』の鳥越俊太郎)の質問まで無視して逃げる、という態度を今井がとったため、評判が悪い。とくに、2人が「謝罪と反省」を述べなかったことへの批判は強い。志方俊之・帝京大学教授は「これからは他人に迷惑にかけずにやる、と言ってほしかった」と手厳しい(産経新聞04年5月1日付朝刊30面)。

が、今井と違ってマスコミに協力的な郡山によると、事情が違う:

「(04年4月15日に身柄拘束と報道された、第二次事件の)安田(純平)さんと渡辺(修孝)さんの場合は『拘束事件』になってて、ボクら(第一次事件)の場合は『人質事件』ってなってるんですよ。人質だったという自覚がないのに。昨日の番組(5月2日放送のNTV『真相報道バンキシャ!』)でも『元人質(が語る批判と本音)』ってなってたんで、あれには参りました(笑)。最後(解放直前)の頃になると(犯人グループとは)友達みたいな感じで、見張りの人と一緒にごはん食べたりしてましたから」(04年5月3日放送のテレビ朝日『スーパーモーニング』)

郡山は、解放されるまで、犯人グループが日本政府に(3人を殺すと脅しながら)「自衛隊撤退」を要求したことも、政府が(その要求を拒否しつつも)救出のために動いたことも知らなかった。つまり、郡山にしてみれば、生命の危険がまったくない中で、ただ数日間不自由な「客人待遇」を受けただけの自分に対して、政府がまったく必要のない「大救出作戦」(余計なお節介)を敢行したことの意味が理解できず、ピンと来なかったのだ。このような状況では、どんな謙虚な者でも、状況に納得して心から謝罪することは難しかろう。

●演技でも恐怖●
上記のコメントを、郡山は、TVに生出演して実にアッケラカンと語った。が、今井は、例の、質問を受け付けない傲慢な「記者会見」のあと、ほとんどマスコミの取材を受けていない。「人質の人権を守るため」と称して、記者会見に大挙襲来していた「人権派弁護士」たちは、今井の横で郡山が、上記のように、正直に真相を述べるのを防ぐために同席していたのではないか、とさえ疑われる。

そもそも今井の「会見」は、郡山のTV出演での発言とは明らかに矛盾している。
4月8日にカタールの衛星放送アルジャジーラに犯人から届いたビデオ(脅迫映像)の撮影について、「首にナイフをつきつけられ、後ろにいた兵士から髪を引っ張られた。物凄い恐怖を感じた」などと今井は会見で繰り返し「恐怖」を語っているが(産経新聞04年5月1日付朝刊31面)、この「恐怖証言」を無効にするのは難しくない。

暴力的な映画として話題の『血と骨』(崔洋一監督。04年11月公開予定)の撮影について、主演女優の鈴木京香はTVなどで会見し、その恐怖を語っている:

「(主演のビート)たけしさんが2階から斧を持って(妻役の自分を殺そうとして)駆け降りて来るシーンがあるんですが、その撮影が、何度テスト(リハーサル)をしても鳥肌が立つぐらいこわかったです」(サンケイスポーツWeb版04年4月16日)

つまり、人は、演技でも(リハーサルでも)恐怖は感じるのだ。今井が「物凄い恐怖なんですよ」と何度言おうとも、それをもって事件全体が狂言誘拐でなかったことの証拠にはならないし、「人質として恐怖を経験し(てPTSDなどを患っ)たんだから同情すべきだ」ということにもならない。

そもそも同じ境遇にいた郡山が「人質になったという自覚はない」と気楽に語っているのだから、「人質」だったことを理由に、高遠や今井が記者会見や質疑応答を拒否することには合理性がない。

ちなみに鈴木京香は、上記のシーンの撮影でPTSD(心的外傷ストレス症候群)などの精神疾患になったとは診断されていないし、マスコミとの質疑応答も(フラッシュバックが起きる恐れがあるから、などの理由で)拒否してはいない(演技で病気になる者などいない)。
(^_^;)
犯人グループが、誘拐1日目(4月8日)に人質に「命は保障する」と伝え、それを人質の家族や支援団体にも伝えるために、故意にリハーサル風景を含む「脅迫映像」を撮影してアルジャジーラに送ると、まるでテレパシーで動かされたかのように、アルジャジーラは(今井がナイフをつきつけられている「本番」の映像はあとまわしにして)真っ先にリハーサルの映像を放送した(産経新聞04年4月21日付朝刊3面)。これを見た人質家族や支援団体は(安心して?)人質救出とまったく関係のない「自衛隊撤退」を求める運動を、人質解放の報が伝わるか否かにかかわらず(4月11日に、犯人からの第2の手紙で人質解放が伝えられて、それを人質家族と支援団体が了承し感謝を表明したあともなお)展開し続けた…。

これが誘拐事件か? 狂言誘拐でなければ擬似誘拐と言うべきだ。

今井らに降りかかった狂言疑惑を払拭するためにも、狂言誘拐の可能性は徹底的に検討する必要があり、それこそジャーナリズムや言論人の使命ではないか。現に筆者は、綿密な検討の結果まず1人、郡山については「狂言の共犯でない」と結論付けた。筆者は明らかに(支援団体の味方ではなく)「人質本人」の味方であり、人質の名誉を毀損する意図は一切ない。

●事情聴取の謎●
郡山や鈴木京香の発言で明らかなように、04年5月現在、今井や高遠が記者会見で質疑応答を受けられない精神状態に陥っているとしても、その原因は人質として恐怖を感じたから、ではない。

郡山は、解放直前には犯人たちと完全に「友達」のような状態だったと述べているが、4月8日の、誘拐直後の時点で「大皿で(人質と犯人が)一緒に昼食をとる」という、郡山にも理解できる、友人関係を示す「通過儀礼」をすでに経験しており(産経新聞04年5月1日付朝刊3面ほかが報じる、前日の記者会見での今井証言)「最初から友達だった」のは明らかだ。

人質と犯人の間に信頼関係が当初からあったからこそ、犯人たちは安心して携帯型ミサイル(RPG)や自動小銃を掲げた状態で「記念撮影」のような感じで、人質と一緒にビデオに映ったのだ(もし「信頼関係」がなければ、人質が犯人に襲いかかって武器を奪おうとして暴発などの事故が起きる危険がある。小誌記事「狂言誘拐説の検討」を参照)。あの「脅迫映像」は、鈴木京香とビートたけしの主演映画のようなもので、人質と犯人の協力で撮影されたものだ。

高遠がいまだに記者会見に出られないほど健康を害していることについて、解放後にアラブ首長国連邦のドバイで受けた警察の事情聴取が一因だ、と郡山は指摘している(共同通信Web版04年4月30日)。もしそれが事実なら、警察が高遠の人権を侵害した不当な取り調べをした、として、それこそ高遠に付きまとっている人権派弁護士たちは、警察を相手に民事・刑事の裁判を起こす(よう高遠に助言す)べきだ。そうすれば、真相が明らかになり、高遠らへの狂言疑惑も一挙に払拭される。

【しかし、石頭の弁護士たちが、そういうはっきりした行動をとらないから、疑惑はいつまでも払拭されず、高遠は活動を再開できない。】

郡山は4月30日の記者会見で、ドバイで警察の事情聴取を受けた際に「(捜査員が)先入観を持って接していると感じ、かなり腹立たしく思った」「こちらの説明を疑っている様子で『本当はこうだったんじゃないのか』と切り返されることが多かった」と不満を述べている(共同通信前掲記事)。

が、郡山は未熟だ。不満を感じたのなら、聴取した捜査員の名前を挙げて批判すべきなのに「名刺をもらったが、なくしたから名前は覚えてない」という。これでは、警察を批判する根拠がないどころか、彼自身、今後ジャーナリストとしてやって行けるかどうかすら、あやうい。マスコミ関係者はみんな呆れている(04年4月30日深夜放送のテレビ朝日『朝まで生テレビ』)。

ほかにも、郡山の未熟さは露呈している。それは法律を知らないことだ。郡山の言動からは、ドバイでの警察の事情聴取には、なんら違法性は感じられない。

警察官職務執行法2条1項には「警察官は…既に行われた犯罪(この場合は誘拐)について…知っていると認められる者を停止させて質問することができる」とある。もちろん郡山も高遠も「その意に反して…答弁を強要されることはない」(同2条3項)ので、拒否することは可能だった。が、結局3人は自らの意志で(任意で)事情聴取に応じたのだから、ここまで、警察側に落ち度はない。

警察官は、任意性に配慮しながら必要な情報を聞き出すために、日々、事情聴取や職務質問のテクニックを磨いている。聴取対象者がなにげない質問にすらすら答えられなかったり回答が矛盾したりする場合には、時間をかけて同じ質問を繰り返して回答の変化を見極めようとする。

警察官はみな警察学校などで、不信感が解消したらただちに職務質問(事情聴取)を打ち切るように指導されているが、逆に、怪しい答弁が耳につく場合は「任意性に基づいて」根気よく質問を続けるものだ(『ラジオライフ』00年2月号 p.90 「警察マニアの基礎知識〜任意性を乗り越える絶妙な質問術に注目」)。

郡山によると、ドバイでの事情聴取は3人別々に行われ、郡山は1時間ほどで終わったのに、今井と高遠はともに2時間以上かかったという(前出『スーパーモーニング』)。

もし、この長時間の聴取で、今井や高遠が心身の健康を損なったというのなら、聴取の違法性を指摘して訴訟を起こせばいい。しかし、それがない以上、警察にはなんの責任もなく、任意で聴取に応じながら警察を欺くような回答を繰り返した今井と高遠が悪い、という解釈が成り立つのだ。

●郡山こそ先入観●
郡山は法的、論理的な検討を一切せずに、単に「『自作自演』に関与していない自分が警察にいやな思いをさせられたんだから、高遠も同じだろう」という先入観で警察を批判している。これはジャーナリストとしては失格だ。

いったい郡山は今井や高遠の何を知っているというのだ。彼らの家族や支援団体の政治的背景については、公安警察のほうがよほどよく知っているし、とくに、前回指摘した事件発生当初の「空白の50分間」に今井と高遠が犯人と何を話していたかは、郡山はまったく知らないのだ。

こうした事実関係をきちんと把握することもなく、単なる先入観で、警察の合法的な捜査を軽々しく批判するような者は、今後ジャーナリストとして活動するのは難しい。

●郡山が高遠を取材せよ●
今井と高遠への「自己責任」の追求はいずれ下火になるが、狂言誘拐のような重大な疑惑は、責任あるメディアが本人との自由な質疑応答を経て厳密に検証するまで、大多数の日本国民の心から消えることはない(それは、02年W杯サッカーにおける韓国戦の判定に、いまだに世界中のサッカーファンが「誤審」との疑惑を抱いていることからも明らかだ)。今井も高遠も、このままだと一生、陰口をたたかれ続けることになり、今後の活動に支障が生じることは避け難い。

しかし、2人には「自称人権派弁護士」が大勢張り付いて(人質本人ではなく支援団体の名誉を守るために?)ジャーナリストの取材をほとんど受けさせないので、疑惑の払拭は不可能だ(こういう弁護士の態度こそ、むしろ人権侵害ではないのか。米国の離婚裁判のように「依頼人より弁護士が主役」では困る)。

【人権派や支援団体が「自衛隊撤退」を要求すること自体は理解できる。しかし、狂言の疑いのある誘拐事件に便乗したり、人質の人権を無視して事件を政治的に利用したりするなど、言語道断だ。とくに「支援」と称して狂言誘拐疑惑の払拭(今井と高遠の正常な記者会見・質疑応答)を妨害し、世論の「人質バッシング」を増幅させるとは何事か。このままだと「自衛隊撤退を主張するやつは、みんなバカ」という世論が定着してしまう。なんでこんなヘタな手を使ったんだ。公安警察の思うツボではないか(小誌「共産党への罠」を参照)。支援者と称する「お節介」)は、さっさと撤退しろ。】

しかしただ1人、例外的に、今井や高遠に自由に会えるジャーナリストがいる。ほかならぬ郡山だ。
いかに人権無視の人権屋どもがガードしようと、「人質」だった郡山が、今井や高遠に会いたいと言えば、それを阻止するのは不可能だ。そこで、郡山自ら今井や高遠に取材して事件の全容を解明し、狂言疑惑を払拭してはどうだろうか。

もちろん郡山にとって、友人でもある今井や高遠を取材対象(メシのタネ)にすることは、友情を損なうなどの危険が伴う。が、郡山は4月30日の記者会見で「ジャーナリストは危険だからこそ…伝える意味がある」と言っているではないか(産経新聞04年5月1日付朝刊30面)。

はっきり言って、今後、郡山が「危険を冒して」イラクなどで取材すると言っても、もうマスコミ関係者はだれも相手にしない。安全な空路でのバグダッド入りをせずに敢えて危険な陸路でイラクに入国したり、自分を「不当に取り調べた」警察官の名刺をなくしたりするような未熟者に、価値ある取材を期待する新聞社はもうあるまい。

NHKは04年4月下旬から榎原美樹記者を空路でバグダッドに派遣して現地取材をさせているし、ほかにも世界各国から大勢の「自己責任能力のある」記者がイラク入りしている。いまさら郡山がイラクに再入国して「50番煎じ」のような写真を撮り、「米国のイラク占領反対」などと、流行の尻馬に乗るだけでだれでも気軽に言えるような主張を唱えたところで、だれも郡山を有能とは認めない。それは、プロ野球の私設応援団と同じで、元々必要のないものだ。

ところが、今井と高遠への取材は日本中が必要としていることで、しかも郡山以外にはできない。これを成功させて(犯行声明文をだれが書いたかを含めて)事件の真相を本にして出せば、間違いなく郡山の、ジャーナリストとしての評価は一気に高まる。

郡山よ。今井や高遠を取り巻く人権派弁護士や支援団体は無視せよ。彼らは汝の味方ではない。敵だ。
ジャーナリストなら「危険を冒して」彼らと戦え。そして、世界中でただ1人、自分しか知りえない真実をつかんで報道せよ。

【今回取り上げた「事情聴取」は、警視庁刑事部捜査一課などの「刑事警察」でも用いる通常の捜査手法だ。が、「イラク日本人人質事件」の捜査を担当するのは警視庁公安部などの「公安警察」だ。】

【「(第一次)イラク日本人人質事件」の捜査を担当するのは「公安警察」だ。警視庁公安部などが行う、いわゆる「内偵捜査」の手法については、次回以降のいつか、小誌で取り上げたい。それを待てない方は、拙著『中途採用捜査官@ネット上の密室』を参照。】

(解放された人質も含めて敬称略)

【この問題については次回以降も随時(しばしばメール版の「トップ下」のコラムでも)扱う予定です。
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 (敬称略)

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