首相の「靖国神社参拝」問題

意外な史実と黒幕

〜昔からでなく85年から、問題は中国でなく米国

Originally written: July 26, 2001
Fourth update: Aug. 13, 2001(mail版●ブレードランナー症候群)
Fifth update: Aug. 14, 2001(●ブレードランナー症候群)
Sixth update: Aug. 20, 2001(mail版●実は対米配慮)
Seventh update: Aug. 22, 2001(●実は対米配慮)
Twelfth update: Sept. 10, 2001●どうやって生き延びる?
Thirteenth update: Aug. 22, 2002●靖国有事〜同盟国アメリカを拘束する一宗教法人の暴走
Fourteenth update: July. 27, 2006●靖国有事〜同盟国アメリカを拘束する一宗教法人の暴走【「現時点では殉職自衛官は靖国神社に合祀されていないこと」を明確化。】


2001年4月、小泉純一郎は首相になると8月15日に公式参拝すると公約したが、直前に方針を変えて8月13日に「前倒し」した。本誌は、参拝の前と後、他のメディアとまったく異なる視点で本件の背後関係を分析した。
●ブレードランナー症候群
●あとで「吠え面かく」のはだれか
【参考:死者を鞭打たない米軍人】
●実は対米配慮
●中韓、早くも「容認」
●なぜ13日なのか
●福田の背後に財界
●山崎の背後に米共和党
●死者に罪はない
●アメリカの死者にも罪はない
●合祀は復讐か
●米共和党と鳩山民主党、YKK
●どうやって生き延びる?
●まるで無責任体質の「特殊法人」
●靖国有事〜同盟国アメリカを拘束する一宗教法人の暴走

【以下の記事は2001年8月13日に配信しました。】

●ブレードランナー症候群
尚、いまから予言しておくが、首相の靖国神社参拝は一度、あるいは二年連続で強行してしまえば、それ以降は中国、韓国もあきらめて抗議をしなくなることは間違いない。中韓両国との末永い「友好」を考えるなら、この問題を未来永劫外交案件にしないために、小泉首相は参拝を強行したほうがいい。

とくに中国の場合、日本政府への靖国神社参拝中止要求が「本気でない」と思わせるにたる、十分な根拠がある。筆者は、本件の事実関係を客観的に把握し、かつ靖国参拝賛成派のみならず反対派の方々に御納得頂けるよう、複数の情報源によって確認した。

筆者が参照したのは、比較的「右寄り」と思われる政治学者、小島朋之・慶大教授の見解(産経新聞2001年8月9日付朝刊12面「靖国参拝で『熟慮』すべき条件は何か」)と、「左寄り」と思われるジャーナリスト、田中宇(たなか・さかい)の記事(「米中関係と靖国問題」)、それに、かつて「当事者」であった中曽根康弘元首相の見解(雑誌『正論』2001年9月号p.100「私が靖国神社公式参拝を断念した理由」)の3つである。

(筆者は可能な限り、客観的な真実に迫るため、また、自分と異なる意見の人々を説得するため、多様でバランスの取れた情報を摂取するよう日頃から心がけている。たとえば、朝日新聞や産経新聞の片方だけを読んで、その主張の尻馬に乗って反対側をやっつける、ということはしないつもりである。)

これらによると、そもそもA級戦犯が靖国神社に合祀されたのは1978年であり、それを日本のマスコがを報じて一般に広く知られるようになったのは79年、中国共産党機関紙「人民日報」が報道したのは80年である。が、このとき中・韓両国政府はそれについてなんの非難もしなかったので(とくに、中国共産党の胡耀邦総書記が人民日報の批判的な主張を否定して「日中関係は良好」と主張したために)首相や閣僚の靖国参拝は、A級戦犯合祀公表後6年間にわたって堂々と行われた。が、1985年8月15日の中曽根首相(当時)の参拝の、さらに翌月の9月になって、中国共産党・政府は突如中止を要求しはじめたのである。

A級戦犯は(死後はともかく)生前には大罪を犯したのだから罪人である。百歩譲って、日本はアメリカの陰謀にはめられて仕方なく破滅的な第二次大戦への参戦に駆り出された被害者だと仮定しても、A級戦犯たちには、日本が被害者、敗戦国になるのを防げなかった責任は当然ある。

もちろん、被害は日本の交戦国、つまり中国などにも出たのだから、中国が侵略戦争の被害者の立場から、加害者の中心人物であるA級戦犯を(死後であっても)肯定的に扱うことは罪だと主張していたのなら、(国によって歴史観や死生観が違っても)それなりに理解できる。

ところが、1980年から85年まで、中国政府も、日本のマスコミも革新政党も、靖国神社におけるA級戦犯合祀を知りながら、それを日本国首相が参拝という形で肯定的に扱うことを容認していた。つまり、本件に関しては、85年までは、日本政府も中国政府も日本のマスコミも左翼勢力も「同罪」なのである。しかるに、中国政府も日本の一部マスコミも左翼勢力も、自分たちがかつて靖国神社のA級戦犯合祀を容認していた、という「罪」を隠蔽している。これは歴史の歪曲ではないか。

こんにち、首相の靖国神社公式参拝に反対を唱える人々の大半はこの史実を知らず、中国や左翼勢力が終始一貫して「本気で」A級戦犯を否定していたと思い込んでいる。これは、もっとも典型的な「ブレードランナー症候群」
http://www.akashic-record.com/blade.html
であろう。

したがって、中国の「反靖国」要求が、政治的外交的駆け引きの道具にすぎないことは、明白である。
前掲のWeb記事で、田中宇は「中国の靖国批判は対米牽制」の側面があると指摘している。他方、中曽根は、親日派で民主改革派であった胡耀邦総書記を追いつめる目的で、党長老のケ小平や保守派の李鵬首相が持ち出してきたとの説を取る。中曽根は親交のあった胡総書記に同情して86年から公式参拝をやめたが、その甲斐なく、胡耀邦は87年に失脚。89年4月、胡耀邦は中国の改革が経済一辺倒で民主的でないことを怒って演説したあと憤死した。彼の死を悼む北京市民は……改革派の趙紫陽総書記の扇動もあって……天安門に集まり、その数は日を追って増え、それは民主化要求運動に発展し、全国に広がる。
それを武力で弾圧した「天安門事件」の首謀者が、ケ小平と李鵬だった。この意味において、日本の靖国反対派は間接的に、「天安門弾圧派」の支持者であると言える。

胡耀邦、趙紫陽を失脚させて政権を掌握した「天安門弾圧派」が選んだ江沢民・後継総書記とその政権が、繰り返し靖国に参拝するなと日本に要求するのは、単に85〜86年の経験から「日本は脅せば屈する国」と見ているからにすぎない。日本国政府と国民をそういう卑屈な状態にしておくのは、外交交渉上非常に有利であり、日本の領土、領海や排他的経済水域(FEZ)を海軍艦船、海洋調査船や漁船によって不法に侵犯するといったこともやりやすくなる。

したがって、中国や韓国が、日本は脅しても屈しない、と思えば、あきらめて二度とこの問題を持ち出さなくなるはずなのだ。彼らだって無意味なことにエネルギーを浪費するほど愚かではない。
たとえば、2001年4月中旬、台湾の李登輝前総統の訪日ビザ発給をめぐって日本政府内が割れたとき、中国政府は「総統引退後も台湾独立派のリーダーである李登輝の来日を許せば、日中関係に重大な影響がある」と当初は主張していた。そこで、親中国派の橋本龍太郎は、自民党総裁選の選挙運動中、総裁候補者としてこの問題についての見解を問われた際、日中友好の立場を唱え李登輝訪日に否定的な言動をした。が、彼の意に反して李登輝が訪日してしまったあと、結局大したことは起きなかった。日中間の貿易や投資が減ったわけではなく、大使償還などの外交的抗議行動もなかった。彼らは日本を「脅しても屈しない国」と見直し、矛を収めたのである。

(仮に、今回2001年の中国政府の「靖国反対」が本気だったとして、いったい中国に何ができるのだろう。核攻撃だろうか? それとも経済制裁だろうか? 経済制裁をするというのなら一度やらせてみたらいい。貿易や投資を制限すれば、日本が受ける被害より中国が受ける被害のほうが圧倒的に大きいので、「13億の巨大市場」の実力が虚構にすぎないことが、すぐに露見するであろう。
逆に日本は、靖国問題で中国の要求を受け入れれば、彼らはまた「ある日突然」別の罪状を面白半分にほじくり出してきて「日本は侵略戦争の反省が足りない」などと要求するに決まっている。これだと、日本は永遠に「反省」し続けることになるが、その原因は日本側にはないのは自明である。)

ところが、そのあと外相に就任した田中真紀子が「李登輝は今後は入国させない」などと中国の唐家セン外相にオベンチャラを言ったため、ふたたび中国は「日本はやはり脅せば屈するぞ」と思い直し、今回の靖国参拝批判になったのである。

これは、外交という、駆け引きのゲームであるから、靖国神社に参拝することの道義的是非などはタテマエにすぎず、中・韓両国にとってもホンネではどうでもいいことなのである。
たとえば、1982年の教科書検定誤報事件以来しばらくは、中国は日本の過去の侵略戦争の歴史をほじくりだして、それで日本国民に贖罪意識を起こさせて経済援助(円借款)を獲得するという戦略をとって、多額の「外資」を得てきた。が、90年代にはいって日本の左翼勢力が退潮になり、かつ日本の財政悪化もあって円借款が得にくいと判断すると、中国政府はこの路線を放棄。90年代後半から2001年2月、朝日新聞が教科書検定問題を検定終了前にリークして大騒ぎを起こして中国政府が「反発せざるえない」状況に追い込まれるまで、中国政府は「過去の侵略戦争」についてはあまり言及せず、日本国内の左翼を切り捨て、保守政財界に(キックバックで?)利益誘導をして円借款を引き出す方向に戦略を転換していた。
(したがって、朝日新聞の2001年の教科書報道は、実は中国政府にとっても「迷惑」だったのである。案の定、このあと日本の保守勢力内には中国への反感が強まり、日本政府は対中国経済援助の大幅削減を検討しはじめた。中国政府にしてみれば「朝日よ、いい加減にしてくれ」と言いたいところだろう。そもそも、朝日新聞が問題視する教科書の版元、扶桑社の営業マンは教科書を売った経験が皆無なのだから、出版界の常識から見て、ほおっておけばその教科書採択のシェアはぜいぜい数パーセントで終わったはずなのだ。それを朝日新聞などが問題視して報道しすぎたため、逆に「宣伝効果」が生まれて扶桑社の教科書が書店で売り出されてベストセラーになる、というほとんどマンガみたいな
(^_^;)状況になっている)

●あとで「吠え面かく」のはだれか
靖国神社参拝を道徳的に悪いことと確信する人々に忠告する。あなたがたは自分が正しいと信ずるなら、中国・韓国政府の「尻馬」に乗らずに、自力でやったほうがいい。両国政府はべつに道徳的な立場ではなく、もともと「欲得ずく」で動いているのだから、外交上金銭上メリットがない判断すれば、すぐに「いち抜けた」と転向してしまう。とくに韓国の反日世論などは、日本政府が適当にうっちゃっておけば、ワールドカップ開催の数か月前には「自動的に」消滅するので、一切無視し、応援をあてにしないほうがいい。彼らの援軍を期待していると、いずれ「オフサイド・トラップ」にかかることになろう。

筆者が、憲法上の疑義を感じながらも、靖国神社参拝にはっきり反対しない理由は、まさにこれで、「あとで吠え面かく」のがいやだからだ。もし今後、かつて79〜85年のように日本の首相が毎年靖国神社に参拝しつづければ、あと3年もすれば、中韓両国とも、靖国問題で事実上「ハイ、どうぞ」と言うのは、いまから目に見えている。「日本軍国主義の侵略の被害者」が容認するなら、靖国に反対することの(裁判用語でいう)「訴えの利益」は、すくなくとも外国人にはなくなってしまう。一部の日本国民だけが「外国の被害者の代弁者」を演じようとしても「雇い主」がいないので、意味がない。

(そうして、中国や韓国の外圧がなくなったうえで、日本国民だけで、A級戦犯の合祀/分祀の是非や憲法の政教分離原則を、冷静に議論すればよい。現在の外圧がかかった状況では、たとえA級戦犯の遺族や、国から独立した宗教法人である靖国神社に「合祀取り下げ」や分祀の意志があったとしても、落ち着いて考えられる状況ではない。「外圧」はかえってこの問題の解決を、無意味に長引かせると知るべきである。)

【参考:死者を鞭打たない米軍人】
2001年8月3日放送のNHK-BS1の「ウィークエンドスペシャル『神風特攻隊2000分の1の航跡』」によると、第二次大戦中戦艦ミズーリにカミカゼ特攻して巡視した日本軍パイロットに対して、ミズーリの乗員のなかには「こいつは、ついさっきまでオレたちを殺そうとした奴だ」という反感から遺体を辱めるよう主張した者もいたが、艦長は「死者は敵ではない」として部下を諌め、敬意をもって水葬に付したという。となると、「死んでも許さない」という中国の価値観は、あくまで彼らの固有の文化圏における独特な文化に過ぎず、他国がそれに従う義務はない、と言えよう。


【以下の記事は2001年8月13日配信記事の関連記事で、2001年8月20日に配信しました。】

●実は対米配慮
先週(2001年8月13日mail版)で、筆者は、死者を鞭打たない米国軍人の倫理観を紹介した。また2001年7月30日(mail版)には、首相の靖国神社参拝に賛成する「靖国:○」派はほとんど全員、現在の米共和党政権の最重要の国防政策であるミサイル防衛(MD)や有事立法、集団自衛権の行使、日米同盟の強化に賛成の「MD:○」派であるとも指摘した)。

そこで、筆者は考えた。それなら、アメリカ政府、とくに共和党や国防総省の、日本・台湾重視派(中国警戒派)はなぜ「靖国:○」でないのだろう? 積極的に現政権の重要政策に賛同しようとしている同盟国の政治家たちに感謝し、「お返し」をしてもよいではないか。筆者は、本件を通じて、大手マスコミがまったく取り上げなかった「アメリカの立場」に着目して、小泉首相の参拝日程変更の理由を探ってみたい。

●中韓、早くも「容認」
13日の小泉首相の靖国参拝「前倒し」には、筆者も驚いた。これに関して、大手新聞各紙等の賛否両論が14〜15日にすでに出尽くした感があるが、そのほとんどが15日の終戦の日を避けた理由を「中国、韓国など近隣アジア諸国への配慮」としている。が、中韓などの反発は事前に予想できたレベル、いやそれ以下のものであった。中国から日本への「非公式の要求」は8月に訪中した山崎拓・自民党幹事長らを通じて首相官邸に伝わり、新聞各紙でも報じられたとおりで「(#1)参拝の日付を15日より後ろ、できれば週末の18日に下げる」「(#2)参拝後にA級戦犯に向けた参拝でないことや侵略戦争反省の談話を出す」の2項目だった。結果的に小泉は、2項目のうち「1.5項目」に応えたのだが、「#2」の談話がかつての「村山首相談話」とそっくりな「左翼的な」徹底的な反省の表明であったことを考えると、「1.5項目」でなく「1項目」、つまり談話は出すが、15日参拝は変えない、ということでも十分やりすごせたのではないか、と思われる。

案の定、中国、韓国政府とも、早々と事実上の「参拝容認」の姿勢に転じた。新聞各紙には、各国の政府や世論が日本に厳しくなった、と書く者もいるが、そんなのは国際法や外交の作法を知らない未熟者のたわごとである。通常、国家が国家の尊厳を主張して友好国(国交のある国)に対して取るべき第一の策は「大使召還」である。これは外交儀礼上「不快感の表明」を意味するが、経済制裁などの実害を伴わない利点があるので、国交断絶をせずにプライドを保つ手段として外交の世界ではよく検討される。たとえば、もし日本政府が日韓間で帰属を争っている領土、竹島を武力で占領したら、韓国政府はまず駐日大使を召還するであろうし、韓国の国会では日本との国交断絶を議論するであろう。しかし、今回、中韓両国政府は、経済的にビタ一文失わずに実行できるこの「手軽な」外交措置を「ほのめかす」ことすらしなかった。これは、両国政府の靖国批判が国内向けのタテマエにすぎないことを意味している。元々中国政府は、79年から85年8月までA級戦犯合祀を知っていながら、日本の首相の靖国参拝を「容認」し、85年9月になって突然文句を言い出すなど、まさに「面白半分に」反対論を出したり引っ込めたりしているのである。「本気でない」ことは最初からわかり切っている。まして、「中国に反日世論が広がる」などという一部メディアの懸念に至っては、あまりに現実離れしていて呆れるほかない。中国は民主主義国家ではなく、言論の自由のない共産独裁国家である。もともと世論などないのだから、そんなものを考慮する必要はかけらもない。

●なぜ13日なのか
したがって、筆者は、首相が2〜3年続けて参拝すれば、中韓両国の批判は「自動的に」鎮静化すると予想したし、小泉もそう言っていた(産経新聞2001年8月14日付朝刊2面「内政干渉強まる懸念」)。だからこそ、小泉は12日に、終戦の日に公約どおり参拝することを前提に、参拝に関する首相談話の草稿を書いて福田康夫官房長官に送ったのだ(同朝刊3面「首相、揺らいだ信念」)。

12日、草稿を見た福田は驚き、首相に電話して「13日案」を説きはじめる。翌13日(「15日派」の安倍晋三官房副長官と飯島勲秘書官が休暇中だった)、小泉は、山崎拓と福田に会い、13日参拝を決断した(同朝刊3面「首相、揺らいだ信念」)。とするならば、福田と山崎、その周辺あるいは背後にいる者だけが、首相の参拝日程に影響を与えたことになる。ほかは一切関係ない。

●福田の背後に財界
福田は8月初旬に、経団連首脳から「15日を外せば、諸外国の反感が五割は減る」(産経新聞2001年8月15日付朝刊3面「誰が『15日』を阻んだのか」)と聞かされていた。筆者が注目するのは、この経団連首脳(おそらく今井敬会長)が中国ともアジア近隣諸国とも言わず「諸外国」と言ったところである。

この経団連は、来年2001年5月、日本を代表するもう1つの経済団体「日経連」と統合する。その日経連の会長は、奥田碩・トヨタ自動車会長で、この2人は2001年6月20日に会談したばかりである(詳しくは、 http://www.mainichi.co.jp/news/journal/photojournal/archive/200106/21/21-11.html  を参照)。とすると、上記の「経団連首脳」の意見とは、奥田の意見にかなり近いのではないかと想像される。

その奥田は『週刊現代』2001年3月17日の記事で、石原慎太郎・東京都知事を「反米的過ぎて、国際的に信用されていないから首相になるべきでない」と酷評している。

その石原慎太郎は15日に靖国に参拝し、小泉は13日だった。これは何を意味するのか。

●山崎の背後に米共和党
もう1人のキーマン、山崎拓は与党3党幹事長訪中団の一員として、直前に中国を訪問して、靖国に反発する中国政府の意向をうけたまわってきた、と報じられていることから「中国に配慮」して、首相に13日参拝を進言したのだろうと思われている。

が、NHKなどが報じる中国の非公式要求では「希望日」は「16日以降、できれば18日」だった。これには合理的な理由がある。16日以降にしてくれれば、15日の日本にとっての終戦の日、中国の対日戦勝記念日は「無事に」通過できる。 中国の政府もメディアもあまり反日的な言動をせずに済む。テレビの番組編成が平日と違ってニュースの放送時間の短い週末(18日)なら、さらによい。これは中国がこの問題で日中関係を悪化させたくないというホンネを反映したものだ(参拝が13日に「前倒し」されたため、15日、中国共産党機関紙「人民日報」など主要メディアは、これに言及せざるをえなくなった。詳しくは、簡体字中国語フォントを用意して人民日報サイトの「“八・一五”感言」  http://www.people.com.cn/GB/guandian/26/20010815/535383.html を参照)。

つまり、与党訪中団が持ち帰ったのは、靖国参拝「後ろ倒し案」であり、事実上の中国政府による靖国(A級戦犯合祀)容認論なのである。ところが、山崎は帰国後、これとまったく逆の行動を取る。首相には「前倒し」を進言し、マスコミには「解決策」の試案として「A級戦犯祀論」(合祀取り下げ)をリークするのである。これは中国の要求ではない。

では、だれの要求だろうか?
13日に山崎拓と同席したあと、福田官房長官は突然「無宗教の国立墓地(戦没者慰霊施設)について検討する私的懇談会」の設置を発表する。つまり、山崎は「A級戦犯のいない靖国」への参拝を口にし、彼と会談したあとの福田は「A級戦犯のいる靖国」をあきらめ、別の慰霊施設を造ることを示唆したのである。福田、山崎の言動はA級戦犯への取り扱いに「特化」しており、また両者の言動を合わせると、独立の宗教法人である靖国神社に対して「合祀取り下げ」か、新たな慰霊施設に参拝者を奪われて「閑古鳥」が鳴く事態になるか、2つに1つを選べと「恫喝」するに等しいものである。なんで、こんな乱暴な話になったのか。

●死者に罪はない
A級戦犯が合祀されていることを問題視する「靖国反対論」に対して、分祀すべきでないと主張する側のおもな「正論」は2つある。1つは、すでに述べた「死者に罪はない」という、中国以外の世界各国に幅広く見られる人道主義的価値観である。これは小泉も言っている。もう1つは、A級戦犯を作り出した「東京裁判」が国内法や国際法に基づいた裁判ではなく、裁判に名を借りた政治ショーであり、戦勝国による敗戦国指導者への復讐劇であった、というものである(こちらは、さすがに小泉は口にしていない)。

おそらく戦勝国の指導者のだれ1人として、A級戦犯の「主犯」東條英機首相を、ヒトラーと同等の極悪人などとは思っていなかったに相違ない。東條はヒトラーと違って特定の民族(ユダヤ人)の抹殺など意図しなかったし、そのための人種隔離的強制収容所もガス室も造らなかった。そのテの強制収容所は、実はアメリカにあったのである(日系人の強制収容を想起されたい)。東條が行ったのは通常の戦闘行為であり、戦後のドイツ政府が謝罪の「対象外」にしたことだけである(戦後ドイツは、ユダヤ人強制収容、殺戮以外には一貫して謝罪を拒否し、逆に連合軍によるドイツ市民への過剰殺戮を非難している)。

が、戦勝国の中心、アメリカ指導部では、トルーマン大統領が国際法違反の市民への大量殺戮である原爆投下を実行し、戦後の占領政策の過程では、これまた国際法違反の占領下の憲法制定をマッカーサーGHQ司令官が行った(自衛隊が日本国憲法9条違反かどうかという議論があるが、それ以前に日本国憲法自体が、実は違法なのである。石原慎太郎はこの点を指摘して、現憲法は改正でなく「廃棄」してしまえと主張している)。

このようなアメリカ側の罪を隠蔽し、原爆投下や違法な憲法制定を正当化するために、東条らのA級戦犯にはなるべく極悪非道に「なってもらう」必要が、東京裁判当時のアメリカにはあったのだ。だから、「戦争殉難者」である東條らのA級戦犯をまつって慰霊しても問題ないのだ……こういう「正論」が、小泉首相が4月に靖国神社参拝を公言して以来4か月にわたって繰り返し、保守勢力によって唱えられ、メディアに登場した。

アメリカ政府の日本専門家、とくにCIAや国務省、国防総省の分析担当官らは、日本語を読み、これらの世論を分析したはずだ。そこで筆者は考えた、このような「東京裁判批判」を繰り返し読まされるアメリカ人は、いったいどんな気持ちになるだろうか、と。

●アメリカの死者にも罪はない
東京裁判批判論者は、ほとんどの場合「死者に罪はない」とも言うが、そのわりには、東京裁判の不当性を言い募ることで、トルーマンやマッカーサーなど、アメリカ側の死者の罪を問うているではないか。「これは不公平だ」と感じるアメリカ人がいても、べつに不思議ではない。

第二次大戦の日米開戦に関しては、F・D・ルーズベルト政権が「ハル・ノート」によって日本側を追い詰め、真珠湾攻撃をさせ、しかも奇襲でなく米政権はその予定を事前に知っていながら「卑怯な奇襲」を演出して、開戦、戦争特需による大不況の克服、広大な勢力圏の確保への道を開いたのだ、という「陰謀論」が根強くある。今年2001年になってからロバート・スティネットの『真珠湾の真実』が刊行されて、アメリカで「かなり信憑性の高い陰謀論」として話題にもなっている。が、「開戦の首謀者」としてルーズベルトの「罪」を問うことは、第二次大戦の戦勝に基づく戦後のアメリカの「正義」と繁栄、戦後の日米関係、そしてそれらのもとでの戦後日本の繁栄や体制まで否定することにならないか……アメリカの親日派の政治家が、そう危惧しても不思議ではあるまい。現にA級戦犯合祀容認論者の石原慎太郎は、GHQの作った日本国憲法を全否定し、改正でなく廃棄しろと言っているのだから。

日本が愛国心教育をし、健全なナショナリズムを持ち、憲法9条を(廃棄でなく)正当な法と受け止めたうえで改正し、集団自衛権を認め、有事法制を整備して日米同盟を強化することに、アメリカの、すくなくとも共和党関係者や国防総省幹部は賛成である。が、「反米ナショナリズム」は困るのだ。東京裁判の不当性を言われては、アメリカだけでなく、当時の戦勝国や、その集まりである国連も困るのだ。

だから、アメリカの大統領も外交官も軍人も、また英仏など他の連合国の政府高官も国連事務総長も、靖国神社に参拝できないのだ。安倍晋三官房副長官(A級戦犯であった岸信介首相の孫)は「アルゼンチンの大統領もNATOの司令官も靖国神社に参拝している」と主張するが、そのような「泡沫候補」(失礼!)の参拝事例しか挙げられないところに、靖国神社の「国際的孤立」が鮮明に現れている。

●合祀は復讐か
第二次大戦後、GHQは国家神道の慰霊施設(戦前は陸海軍が管理)であった靖国神社を廃絶しようとしたが、「どこの国にも国のために死んだ者を慰霊する権利がある」という、当時日本にいたローマ法王庁の神父の諫言をGHQが聞き入れて、靖国神社は生き残った。戦後は国から独立した独立の宗教法人となったが、まつるべき神様(亡くなった人)の名簿は国から提供され、それに基づいて合祀されることになっている(これを国会で立法化したとき、当時の社会党は賛成した)。

ところが、戦後の新憲法下での国と宗教(神道)の関係について、政府も靖国神社もなかなか頭の整理がつかなかった。このため、かつてアメリカのニクソン大統領の訪日時に「アメリカ大統領の靖国参拝」が検討されたとき、政府はまともに答えられず、結局ニクソンに断られてしまった(1985年8月の中曽根康弘の「いわゆる首相の公式参拝」のための法的検討、政府見解の取りまとめまで、政府はこの問題の答えを出せなかった)。

1967年、政府の作成した名簿に、東條ら14名のA級戦犯が「戦争殉難者」と認定されて、記載された。ところが、これを受け取った靖国神社側は、1978年まで、実に10年にわたって「熟慮に熟慮を重ね」合祀をしぶるのである。そうこうするうちに、当時の宮司が亡くなり、78年、松平永芳が第6代宮司に就任する。帝国海軍軍人であった松平は、就任直後、あっさり14名の合祀をやってのける(雑誌『正論』2001年9月号、p.105、テレビ朝日『サンデープロジェクト』2001年8月12日)。

筆者はここに復讐、あるいはアメリカへの「あてつけ」の匂いを感じるのである。なぜなら、この宮司は中曽根が85年に熟慮の末に編み出した、現憲法に違反しない「公式参拝」の形式を「非礼きわまりない」などと公然と罵倒したからだ(毎日新聞1999年8月17日付朝刊「記者の目」  http://www.mainichi.co.jp/eye/kishanome/199908/17.html によると松平は、中曽根がSPの護衛付きで参拝したことまで非難したというから、危機管理意識のかけらもない、無能な軍人だったに相違ない)。これは米軍占領以降の戦後(憲法)体制の全否定にほかなるまい。もし、松平が「死者となった東條に罪はない」と言う一方で、死者トルーマンらへの恨みを込めて東條の合祀を決めたのなら(軍人の気持ちとしては理解できるが)宗教者としては悪質な「二枚舌」であり「失格」ではないか。

もしそうなら(という条件付きだが)靖国神社には東條らの合祀を撤回する道義的責任があるのではないのか。
「死者トルーマンの罪を許す」場合のみ、死者東條の罪(たとえ侵略責任はなくとも、日本国民への敗戦責任はある)は許され、英霊の仲間入りが可能なはずである(日本の首相、閣僚、外交官は過去に何人もアメリカのアーリントン墓地に参詣しているが、その際「トルーマンを許す」と思った者が1人でもいたのだろうか)。「死者の罪」の問い方を国籍によって差別するような、あるいは、真摯であるべき英霊の追悼に復讐心を込めるような、俗世のエセ人道主義者に、英霊をまつる資格はないはずだ。

松平は、先代宮司の躊躇の意味をまったく斟酌しなかった、きわめて視野狭量な人間である、と筆者は思う。こんなにんげんが帝国軍人だったから日本は戦争に負けた(外交上「負ける側」にはいった)とさえ言いたくなる。松平が考えたのは「過去の英霊」のことだけだ。彼は1992年に宮司を退任するまでに、一度でも「未来の英霊」のことを考えたことがあるのか。

日本が今後二度と「負ける側」にはいらないためには、世界の有力国(必ずしも正義の国ではないが「勝てば官軍」)や国連との協調、同盟は不可欠だ。とすれば、自衛隊員は今後、同盟国や国連軍との「集団自衛権」行使の過程で殉職する可能性が高い。それならば、同盟国の元首、首相や国連(第二次大戦の「戦勝国クラブ」の長)が参拝できないようなところに「未来の英霊」はまつれない。

筆者は、タイムマシンで1978年に行って松平宮司に問いたい。あなたは、自衛隊が全世界を敵にまわして、日本一国だけで正義のために戦うような国際的孤立でも想定しているのか。アメリカを敵にまわして「復讐戦」を挑む事態でも想定しているのか。日本がまた「負ける側」にはいってもいいのか。負ければ一切の正義は取り上げられ、勝てば国際法違反の虐殺でも正当化される……それがさきの大戦の敗戦から得た最大の教訓ではなかったのか。まだ目がさめないのか。

合祀取り下げ拒否は、つまるところ、「負け犬の遠吠え」ではないか。軍人なら恥を知るべきだし、宗教者なら二枚舌はやめるべきだ。

●米共和党と鳩山民主党、YKK
米共和党(現政権)やそれを支える保守派は、靖国批判を中韓両国政府や、日本の左翼、アメリカのリベラルなメディア(ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト)に任せ、自らはノーコメントを通した(但し、日韓関係の悪化はアメリカにとっては困る、というきわめて遠まわしな表現ながら、米国務省副報道官が言及している。詳しくは、 http://www.asahi.com/international/update/0814/006.html を参照)。

が、2001年8月3日、保守派のオピニオン紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が、初めて日本の首相は靖国に参拝すべきでないとする社説を掲載する(WSJサイトは有料なので、この原文へのリンクは張れないので、代わりに紹介記事「米中関係と靖国問題」 http://tanakanews.com/b0807USJP.htm を参照されたい)。この掲載時期は、経団連首脳が福田に「(米国を含む)諸外国への配慮」を促した時期と符合する。その福田が検討すると言い出した「国立墓地」案は、実は民主党の鳩山由紀夫党首のほうが「先輩」である。

鳩山はけっして「親中国派」ではない。2001年4月の李登輝・前台湾総統の訪日問題でも、小泉や福田以上にはっきりと、いちはやく訪日受け入れを主張した。とすれば、彼の背後にはだれがいるのだろう。

2000年秋の「加藤政局」を思い起こしてほしい(本誌の記事「アメリカに棄てられた政治家たち」
http://www.akashic-record.com/usout.html#kato2
と、リンク先の「分類表」を参照)。鳩山民主党の有力議員と、米共和党ブッシュ陣営の経済アドバイザー(おそらくリンゼー補佐官)と、山崎拓と加藤紘一が2000年11月15日(「加藤の乱」の直前)、そろって政策勉強会を開いているのだ。報道では、山崎(Y)と同様、加藤(K)も、小泉(K)に「前倒し」を促したとされる。

加藤は、中国語が堪能な外交官であったことから「親中国派」と見られがちだが、2000年秋から2001年8月にかけての行動は、日本における「親中国派」の代表選手である橋本派(野中弘務元自民党幹事長)に敵対する「親共和党派」であることが見える。

中国の「日付変更」要求は「後ろ倒し」16日以降であり、13日早朝の韓国KBSテレビ(金大中政権寄り)のニュースは14日または16日以降の参拝を予測していた。が、山崎と加藤と小泉(YKK)は、このすべてを覆して13日への前倒しを選んだ。

筆者は、小泉に13日参拝を決断させてのは、アメリカ共和党(現政権)であるという結論に至った。小泉の構造改革を強く支持する米政権は、小泉が「参拝中止」という完全な公約違反を犯して指導力を低下させるのを恐れる一方で、公約どおり15日に「石原慎太郎といっしょに」参拝して過剰にナショナリズムを盛り上げてもらっては困るので、中国の「要求していない」前倒し参拝を、山崎拓と「経団連首脳」を通じて小泉に求めたのではないか。

思い起こせば、筆者が2001年3月17日、小泉の自民党総裁選出馬「前」に早々と1年以内の小泉政権誕生と予言(でなくて科学的予測)をして的中させられたのは、米共和党が小泉を選ぶと読んだからであった(「予言的中」の証拠は  http://www.akashic-record.com/usout.html#koizumi  を参照)。筆者は今回「原点」に戻って全体を見直した次第である。

●どうやって存続する?
靖国問題では、日本政府も神社当局も「中国に配慮」する必要は微塵もないが、少なくとも政府側には「アメリカに配慮」せざるをえない事情があることが今回判明した。アメリカは日米同盟支持する日本の保守勢力に配慮して、この問題で表立って反対することは絶対にないが、ここ数十年の態度を見れば、徹頭徹尾靖国参拝を拒否する意志があるのは明らかだ。それは国連も西側主要国も同様である。

どうしても、東條英機の遺族や神社当局が合祀取り下げをしないのなら、仕方がない。憲法上、日本国政府は戦後独立の宗教法人となった靖国神社に干渉できないので「合祀を取り下げろ」とは言えないのである。

が、それなら政府は、A級戦犯のいない新たな慰霊施設、たとえば国立墓地を造って、そこに「未来の英霊」をまつる(葬る)ほかない。そして、そこには国連事務総長、アメリカ大統領、および天皇陛下が参拝し、この新たな施設は「活況」を呈するだろう。

そのとき、靖国神社はどうなるだろうか。いまでこそ、日本遺族会の自民党員は11万人、「英霊にこたえる会」の会員は120万人いるが、これらの会員の中核を占める「戦前生まれ」は次々に天寿をまっとうしていくし、他方、戦後民主主義教育を受けた世代の日本国の総人口に占める比重はどんどん上がっていく。産経新聞などは「国民世論の大半は、靖国神社こそが英霊慰霊施設の中心」と思っていると主張するが、仮にそれが正しいとしても、それはあくまで「現在の民意」にすぎないのであって、「30年後の民意」がそれと異なるのはいまから十分に予測できることではないか。このままA級戦犯合祀を続けていけば、理論上は、あと20〜30年で靖国神社に参拝する人はほとんどいなくなるはずである。これは、神社の「経営上」大問題ではないのか。

筆者は、松平永芳が行った合祀強行は、企業で言えば「背任罪」に相当する重大なものと考える。もしも筆者がいま靖国神社の宮司なら、松平永芳を出入り禁止にし、損害賠償を求める民事訴訟を起こす。松平がやったことは、それぐらい悪質なことだ(また、SP差別も許せない。民主的な手続きで選ばれた首相の靖国参拝にあたり、SPはいざとなれば一命を投げ打ってでも首相と民主主義をテロリストの銃弾から守る、という覚悟で護衛の任に就いていたのに、その崇高な任務を非難したことは、民主主義に対する侮辱というほかない。SPより軍人のほうが偉いとでも思っているのか!)。

国際協調や民主主義を無視して独断専行する、松平のような悪質な軍人は軍法会議にかけて厳罰に処さなければならない。それを怠ったから、戦前の日本政府は軍の統制に失敗し、破滅的な戦争に引きずり込まれて大敗を喫したのだ。「二度と悲惨な戦争を起こさないように反省する」というのは、実は責任を明確にしあやまちの再発を防ぐことなのだ。ただ涙を流して「平和を願う」と言ったぐらいでは、なんの役にも立たないのだから。

●無責任体質の「特殊法人」
A級戦犯14名の名を記した名簿について、政府側は「参考資料として渡した」にすぎないと主張し、神社側は「政府がまつるべき神様(亡くなった人)の名前を指定したのでそれに従った」とあたかも命令されたと言わんばかりの主張をし、責任のなすり合いをしているという(前出『サンデープロジェクト』)。が、現憲法の政教分離原則があるので、政府が神社側に「合祀しろ」と命ずることはできない(だから分祀も強制できない)はずで、神社側がウソをついているのは間違いない。

靖国神社というのは、つくづくだらしのない組織だ、と思わざるをえない。この宗教法人には顧問弁護士がいないのか、いてもよほど無能なのか……基本的な事業(英霊の合祀)の責任の所在すら明らかにできない、そのあいまいな体質は、族議員利権の庇護下にある、どこかの特殊法人にそっくりではないか。

この自堕落な体質を改善できなければ、すくなくとも天皇の公式参拝など未来永劫ありえないし、堕落した組織の常として(戦後はもう「親方日の丸」ではなくなったのだから)その存続すらあやういであろう。

まず、神社内に「シビリアン・コントロール」を確立せよ。それができなければ、それまでだ。

ホームページランキング その他部門

■靖国有事〜同盟国アメリカを拘束する一宗教法人の暴走■
【この記事は2001年の靖国問題特集の関連記事です。】

筆者は保守良識派を自任する者だが、本日は敢えて保守派(自民党の森派や江藤・亀井派や親台湾派議員、民主党や保守党の一部、自由党、産経新聞、読売新聞の支持者または愛読者)の皆さんに意地の悪い質問をしてみたい。

上記の保守派の方々(以下「あなたがた」)は、

 日本国憲法9条の解釈(または条文そのもの)を変えて日本が集団自衛権を行使すること、
 片務条約(米国は日本を守るが日本は米国を守らない)である日米安保条約を見直して日本の役割と立場を強めて日米同盟を強化すること、
 国連PKOの(武力行使を伴う)本体業務に自衛隊が参加すること

に肯定的な人が多い。同時にまた「首相が靖国神社に公式参拝すること」を強く支持する人も多い。

それならば、以下のケースをシミュレーションしたうえで「靖国神社の取るべき道」について回答を考えてみて頂きたい。

#1 自衛隊と靖国神社
まず「あなたがた」の考えによれば、殉職自衛官は「英霊」であり、明治以来の他の殉職軍人と同様に靖国神社で慰霊されるべき、となる(06年現在、殉職自衛官は靖国神社には祀られていない。一部は各地の護国神社に祀られているが、東京都や神奈川県など護国神社のない地域もある。いまのところ、殉職自衛官は数が少ないので、その慰霊の仕方、とくに国家レベルで慰霊する方法がないことは問題視されていないが、今後、自衛隊の海外派兵の増加や、中国や北朝鮮の増加によって「靖国合祀待望論」が生まれる可能性がある)

#2 自衛隊と米軍
また「あなたがた」の考えによれば、今後日本は米国や国連と集団自衛権を行使して、戦闘に参加する可能性が高く、したがって、今後の自衛隊員には、同盟国(米国)や国連PKO参加国など他国の兵士の生命を守るために戦う中で殉職する可能性と、自分の命を他国の兵士に守ってもらって、その兵士が殉職する可能性がある。
このような事態を想定して以下を考えて頂きたい。

#3 天皇とアーリントン
他国の兵士は殉職すればそれぞれの国の慰霊施設(米国の場合はアーリントン墓地が代表的)に埋葬されて慰霊されるので、その後、日本の首相や天皇が訪米した場合には米国のアーリントン墓地に参拝し「わが国の軍人(自衛官)を守るために亡くなった貴国の英霊」に敬意を表する義務がある……アーリントン参拝は従来から行われており、問題はないだろう。

【アーリントン墓地に埋葬されている「英霊」は、米国内では「国のために戦った人々」と言われているが、客観的にはそうは言い難い人々も含まれている。たとえば、ベトナム戦争の兵士がそうだ。どう見ても米国の本土防衛に関係なく、またのちに米国が共産主義体制下の統一ベトナムと経済的利益を求めて国交を結んだ事実に表れているように、ベトナムの共産勢力と米国が戦ったベトナム戦争は、経済を含めた米国の国益ともあまり関係なさそうで、お世辞にも「自衛戦争」とは言い難いが、そのことを問題視する外国政府は1つもない。
田中真紀子元外相は外相在任中の2001年夏「中国への侵略戦争を遂行したA級戦犯」を合祀した靖国神社に小泉首相が参拝することには強硬に反対したくせに、「ベトナムを侵略した」当時の米国の軍の幹部が埋葬され慰霊されているアーリントン墓地には自ら参拝し献花している。田中に限らず、日本の政治家は大勢「アーリントンの英霊」には無条件で敬意を表しており、ベトナム戦争を問題視した者は1人もいない。】

#4 米大統領と靖国
となると、日本の同盟国アメリカの政府高官、とくに軍の最高司令官である合衆国大統領も当然、訪日の際、米軍兵士を守るために亡くなった日本の英霊に敬意を表さなければならない……が、いまだかつて米大統領が靖国神社に参拝したことはない。

米国だけではなく、英仏中露など、第二次大戦で日本と戦った連合国の首脳、政府高官はほとんど靖国神社を参拝していないし、連合国(United Nations)の同盟が発展してできた組織「国連」(英語ではUnited Nations、中国語では「聯合國」)の代表者(国連事務総長)も同様だ。

この理由は間違いなく、連合国が日本の「戦争犯罪」を裁いた「東京裁判」の判決でA級戦犯とされた、大戦中の日本政府の指導者たちが、靖国神社に合祀されていることと関係がある。

【「靖国神社で慰霊されるべき方々」(戦死者)の選定は、旧厚生省(現厚生労働省)が決めた名簿に基づいて、戦後独立の宗教法人となった靖国神社が自主的に行う。1950年代以降の恩給法、戦傷病者戦没者遺族援護法の制定と改正で戦死(者)の定義が「公務死」にまで拡大されたため、厚生省の名簿に東条英機元首相らのA級戦犯が載ったが、この名簿を受け取った当時の靖国神社の宮司は彼らの扱いを10年以上も保留にした。
この間、米大統領(ニクソン)の靖国参拝が日米両国政府によって検討されたが、「保留」があくまで保留に留まり「A級戦犯拒否」でなかっために(表面上は、日本国憲法上の政教分離原則と靖国神社の関係についての日本政府の説明が不明確という理由で)米大統領は参拝を見送った(と筆者は推理する。理由は、67年当時は日中間に国交がなく、A級戦犯問題では日本は中国に配慮する必要がなく、配慮の相手は米国しかありえないからだ)。
が、78年にその宮司が死んで、新しい宮司(非常識な言動の多い松平永芳 )の代になると、A級戦犯の合祀は一転して強行される。】

#5 東京裁判と旧ユーゴ戦犯法廷、そしてアルカイダ処分
なぜ、米大統領は靖国に参拝しないのか?……それは参拝した場合をシミュレーションすればわかる。
参拝すれば、日本のマスコミ、とくに産経新聞が、そこにA級戦犯が祀られていることを報道し、

「死者に罪はない」
「そもそもA級戦犯を裁いた東京裁判は、裁判に名を借りた復讐劇で、法的道義的根拠も曖昧だ」
「これでやっと日本の戦後は終わった」

などと解説する。
となると、世界各国(とくに米国に批判的な国)の報道機関の日本特派員が、それをまたニュースとして母国に報道するので(米国政府の真意が「死者を鞭打たない」という人道主義にあろうがなかろうが)「A級戦犯が許された」事実として少なからぬ世界各国に知れわたる。
それを、現にUnited Nations(国連)の「旧ユーゴ国際戦犯法廷」で裁かれている旧ユーゴの元大統領ミロシェビッチが聞いたら、なんと言うか?

「それ見ろ! 米国やUnited Nations(連合国)の『正義』が正しくないことを米国自身が認めたぞ。東条英機も私も彼らから『残虐な戦争犯罪人』と罵られたが、その根拠は曖昧なのだ」

彼がこう主張すれば、欧州やアラブ諸国(や中国、北朝鮮?)の共感を呼び、国際世論は分裂し、旧ユーゴ戦犯法廷は(設立時には想定していなかった)ミロシェビッチへの無罪判決を下すか、それがいやで「立ち往生」するか、相当な醜態を演じる羽目に陥るだろう。
2001年以降、米国の反テロ戦争の結果捕らえられ、裁きを受ける身になった、アルカイダやタリバンの兵士たち、また今後(米国の対イラク攻撃のあと)裁かれる「予定」のサダム・フセインやその政権幹部もみな「東条並みに扱え」と主張するのは目に見えている。

もちろん、米国の正義は即世界の正義ではない。米国があちこちで「戦犯法廷」などを設けて(一方的に)「敵」(敗者)を裁くことに異議を唱えることは、言論の自由のある国では(意見の1つとして)当然だ。が、それは日本の国民や国会や政府が議論して決めるべきことで、けっして一宗教法人が決めることではない。ところが現状では、靖国神社は、日本国民の民意と無関係に、日米同盟や米国の反テロ戦争の戦後処理プロセスを脅かしかねない「権限」を事実上持っている。

これはどう見ても不合理ではないか。米国に反テロ戦争やその戦後処理をするフリーハンドを与えるべきでないという考えの方々、たとえば左翼・平和主義者の方々から見ても、この「単なる宗教法人」の権限の強さは異様であろう。

さて、以上の#1〜#5を踏まえて「あなたがた」は、靖国神社はどうすべき、と思われるか、考えてみて頂きたい。
この問いかけは「靖国も日米安保も自衛隊も全部なくなればいい」という単純な考えの方々には(まったく頭を使わずに結論が出せるので)どうということのない問題だろうが、保守派の、思考力のある方々にとっては、なかなか難題だろう。

とくに、ここ数年毎年8月15日の終戦の日に靖国神社に参拝している石原慎太郎・東京都知事がこんな問いをされたら「てめえはオレを総理にしたくねえんだろ」と言い出しかねないぐらい、底意地の悪い質問だ。

【東京裁判を「主催」したのは、米国を中心とする連合国で、その発展形である「戦勝国クラブ」が国連(United Nations、聯合國)だ。となると、たとえ自衛官が国連PKOで殉職して靖国に祀られても、国連の代表(事務総長)はそこには参拝できない。United Nations(国連)に加盟した時点で、日本は東京裁判に象徴される「戦勝国史観」を受け入れた(いじめられる側からいじめる側にまわった)形になっている。もし第二次大戦の戦勝国に正義がないなら、国連PKOにも正義はないはずで、日本はそんなものに参加してはいけない。】

ホームページランキング その他部門

●合祀取り下げと天皇の公式参拝●
が、石原はそれほど心配しなくていい。予言(でなくて科学的予測)を言えば、

「2003年8月15日に石原慎太郎首相が靖国神社に公式参拝するまでには、靖国神社は『自主的判断』によりA級戦犯の合祀を取り下げる」

という異例の決定をしているだろう。理由は「天皇の公式参拝」というエサである。
評論家の田原聡一朗らの主張する

「満州事変(以降の日中戦争)は、当時の天皇(軍の統帥権を持つ大元帥)の命令を無視して強行された(首謀者を死刑に処すべき、軍規違反の)侵略戦争で、それを追認した当時の政府指導者(東条らのA級戦犯)は日本国民にとっても戦犯」(テレビ朝日『サンデープロジェクト』2002年8月18日放送)

という論理を使えば、東京裁判の「違法性」(米国など戦勝国の勝手な正義)を棚上げしたまま、A級戦犯をあらためて罰する(死者を鞭打つ)ことは合理化できる。今度は戦勝国に頼らず、日本国民自身が初めて自ら「裁きたい」という世論を主張した形になる。

こうしてA級戦犯を「無益な侵略戦争に怒る日本国民の意を体した靖国神社の自主的判断」で追放(合祀取り下げまたは分祀?)してしまえば、米大統領(外国の最高の公人)の公式参拝が実現する(尚、通常「分祀」とは「他の英霊と切り離して追放」ではなく「靖国でもよそでも、2か所でお祀りしてます」という意味で、「本体」は靖国に残ったまま)。

日本の首相などの公人が靖国に参拝した場合は、日本国民である左翼の市民運動家らは日本国憲法の政教分離原則に反するとして違憲訴訟を起こすことができるが、相手が外国の公人の場合はその手は使えない(訴訟はすべて事実上門前払いされる)。

そうすると、やがてそれは法的社会的に既成事実として定着し「外国の最高の公人がOKなら日本の最高の公人もOKのはず」となって、天皇の公式参拝へとつながる。それが実現すれば、靖国神社の法的社会的地位をめぐる論争の大半は決着するはずだ。現在の靖国の宮司がまともなにんげんなら

「天皇の公式参拝を受けたいですか、それとも米大統領を苦しめたいですか」

と問われた場合の答えは明白だろう。

ホームページランキング その他部門

●国立墓地では間に合わない●
現在、福田官房長官のもとにある諮問機関が、靖国に代わる代替慰霊施設(国立墓地)のあり方を議論している。議論は結構だが、これでは間に合わない。なぜなら、上記「#2」のタイプの殉職自衛官は、明日出てもおかしくないからだ。

2002年8月現在、海上自衛隊の補給艦隊はテロ特措法に基づいてインド洋上で反テロ戦争を戦う米英軍に給油を行っているので、この艦隊にアルカイダが「船に乗った自爆テロ」を決行して殉職自衛官が出た場合を想定しないわけにはいかない(つまり、国のために死んだ自衛官を、すみやかに慰霊顕彰して、国民的感謝を表明する機会を設けなくてよいのか、ということである。護国神社はローカルな 慰霊施設にすぎないうえ、地域によってはそれすらないので、国民としては慰霊も感謝もできない事態になる。そうなると、多くの自衛官や自衛官志願者は「国のために働いても、なんの名誉も感謝も得られないなら、なんで命懸けで戦う必要があるのか」と疑問を抱き、自衛隊の士気が低下し、組織の維持が困難になる)

海上自衛隊の皆さんには縁起の悪いことを言って申し訳ないが、その場合は「米(英)軍を助ける活動中の殉職」なので、彼らが靖国に合祀されれば、米大統領はいずれ参拝しないわけにはいかなくなる(が、米国外交のフリーハンドを確保しなければならない大統領としての「ペルソナ上」それはできない。大統領がだれでも、どんな個人的信条を持っていても「大統領のペルソナ」を身に着けている限り同じことだ。政治家のペルソナについては、拙著『龍の仮面(ペルソナ)』を参照)。

靖国神社に「大統領をいじめる権限」などないはずだ。 日本政府に法律上の有事の備え(有事法制)がないように、靖国神社にも宗教上の有事の備えがない(どちらも、だらしのない「平和ボケ」した法人だ)。これは、靖国側の「怠慢」であるから「宗教上一度合祀したものを分祀はできない」などと言い訳する資格は、靖国にはない。

【もっとも近い将来に起きそうな「有事」、米国の対イラク攻撃の日本への影響、その際米国が「正義」を獲得する方法などについては、次回以降
次回以降のメルマガ配信の予約は → こちら

 (敬称略)

はじめに戻る