噂をもてあそぶマスメディアの限界

ノストラダムス、W杯に敗る

〜「大予言」の哀れな最期〜

Originally Written: July 12, 1998
Last Update: July 12, 1998

●「聞き違え」でもニュースになる
●「ノストラダムスの大予言」の発端
●単なる風景の描写
●「予言利用法」の確立
●「予言」の商業利用
●ノストラダムス、W杯に敗る
●「予言」の正味期限

●「聞き違え」でもニュースになる●
W杯サッカー一次予選リーグで日本が3戦全敗に終わったあと、日本人選手のトップを切って、中田英寿選手が現地で日本人記者団を前に記者会見を開いた。このとき、記者の1人が中田に、こう聞いた。

「明日、日本人選手団といっしょに帰国するんですよね?」

この質問に明らかに、中田は驚いた。

「決まっているじゃないですか! どうして、そんなこと聞くんですか?」

実は、この記者がこういう質問をしたのには、わけがある。一次予選リーグの最中、日本の複数のメディアが、以下のような趣旨の情報を流していたからである。

「中田は、一次予選終了後も日本には戻らず、現地フランスに留まって決勝戦までW杯を観戦し、そのまま欧州のプロチームと入団交渉に臨む。交渉が成立すれば、そのまま欧州のチームに合流し、もう日本には戻らない」

けっして1紙や2紙ではなかった。筆者はが目にした限りでも、すくなくとも5〜6のスポーツ紙やタブロイド紙が、上記のような記事を書いていた。

しかし、記事はすべて間違いだった。中田は翌日、日本選手団とともに飛行機に乗り、日本へ帰った…………が、1人だけ、選手団に同行しない者がいた。岡田武史監督だった。 岡田は、予選リーグ終了後、辞意を表明したあと、帰国せず、そのままフランスに留まって決勝戦までW杯を観戦するのだということだった。

賢明な読者のみなさまには、もうおわかりだろう。上記の記者の質問および数紙が報じた「中田帰国せず」のニュースは、実は「ナカタとオカダの聞き違い」から生まれたのだ。すくなくとも、筆者は合理的に考えて、ほかの可能性はないと確信する。

【「誤報」を出したスポーツ紙等は訂正記事を出すべきだが、彼らは中田と違って「傲慢」なので、絶対に訂正も謝罪もしない。ふざけた話だ。】。

中田はマスコミ嫌いで知られている。それは、日本のスポーツ紙のサッカー担当記者たちがサッカーの知識に乏しく満足な質問のできない者が多いうえ、スポーツ自体とまったく関係のない(たとえば、プライバシーや髪型に関する)記事を、それも不正確に書くからで、べつに中田の性格に問題があるからではない。その証拠に、中田は、ちゃんとプロ意識をもった記者には、たとえば欧州諸国のマスコミには、けっして無愛想な態度は取らない。

が、日本のサッカー記者たちにはそれがわからないから、自分たちの質問にきちんと答えない中田は(自分たち記者側が質問の答えをきちんと書かないことは棚に上げて)「傲慢な奴だ」と思っている。

当然、日本人記者たちのあいだに、次のような「偏見」が蔓延する…………中田は傲慢な奴だ。日本人記者が嫌いなんだ。外国の記者だけは好きなんだ。自分の才能が世界レベルだと言われて慢心している。あいつはきっと日本が嫌いなんだ。だから、もう日本には帰りたくないに違いない…………。

このような「偏見」に取りつかれた連中のもとに、日本選手団周辺からある情報がもたらされた。曰く、「ナカタ(オカダ)は1人フランスに残って決勝戦まで観戦するらしい」。

自分たちの無能や無礼をかえりみない記者どもは、この情報に飛び付いた…………やっぱりあいつは自分勝手だ。1人だけ残って欧州のチームと交渉する気だ。もう日本に帰らないつもりだ…………。

さいわいに、この誤報は、中田選手個人の若干のイメージダウンを除けば、なんら社会的実害を残さなかった。が、有史以来、古今東西のマスメディアおよびパーソナルメディア(口コミやウワサ)では、このような「偏見」と「聞き違い」の組み合わせによる大誤報の例は少なくない。実は、あの「ノストラダムスの大予言」も、これとほぼ同じような形で生まれ、そして広まったのだ。

●「ノストラダムスの大予言」の発端●
世界的に有名な「ノストラダムスの大予言」が「大予言」になりえた重要な理由は、ほとんど以下の3つしかない。この3つの条件がそろわなければ、おそらくこの「予言」は「予言」として、後世の人々の「誤解」を受けることはなかったであろう。

1.ノストラダムスという名前が、ラテン語で「聖母マリア」を意味すること。

2.「オストラダムス予言」なるものが(世の中の動きを予言したものとすると)難解で、どうにでも解釈できる内容であったこと。

3.「予言」が広まった16世紀当時のヨーロッパ(「予言者」とされるミッシェル・ド・ノストラダムスは1503年、南補仏サンレミ生まれ)では、ペストが蔓延し毎日大勢の死者が出ており、人々の心が極端に不安定で、どのような迷信でも信じかねない状況にあったこと。

ペストに怯える南ヨーロッパ(つまり、フランス、イタリアなどのラテン系言語を話す諸国)の人々に「ノストラダムスという名前の人が、何か難しいことを言った」という噂が伝われば、それはたちまち「聖母マリアが何か言った」→「聖母マリアの言葉」→「そうだ!  聖母マリアの予言だ!」といった具合にエスカレートしてしまうことは想像に難くない 。

まさに「幽霊の正体見たり枯れ尾花」である。なんと、くだらないことであろうか。要するに「ナカタとオカダの聞き違え」と大して変わらないではないか。

●単なる風景の描写●
実は、「ノストラダムスの大予言」なるものを検証する目的で、ミッシェル・ド・ノストラダムスの生家をたずね「現場検証」を行った者がいる。1997年、TBSのテレビ番組『神々のいたずら』は占星術研究家と取材班を現地南仏に送り込み、生家のまわりにを取材した。すると、ノストラダムスの「予言」と呼ばれている難解な四行詩の大半は、実は生家のまわりにある建築物や風景を描いたものであることがわかった。また、「星と星が出会って……」「空から何かが降ってきて……云々」の下りも、単なる天文学上の計算だったりする、というから、いったいこの「大予言」をめぐる数百年間のバカ騒ぎはなんだったのか、と言いたくなる。

噂を信じた者たちに唯一同情の余地があるとすれば、ノストラダムスがユダヤ教から改宗したキリスト教徒で、しかも医者だったため、キリスト教社会のタブーにあまりとらわれることなく、ペストの治療や研究(とくに、死者の解剖)などを行っていたという事実があげられるだろう。この「事実」は、ペストから救われたい多くのキリスト教徒にとって「救いの神」と「タブーを犯すあやしげな異能の持ち主」のイメージを与え、「予言」に信憑性(というより神秘性)を与えたに相違ない。

●「予言利用法」の確立●
しかし、とにかくこの「予言」は広まったので、これを利用して何か「世論操作」のようなことができないか、と考える者が出てきても不思議でない。

『週刊プレイボーイ98.7.21号』の特集記事「徹底大検証<ノストラダムス・カウントダウ ン>が始まった!〜『アンゴルモアの大王』が空から降りてくるまで、あと1年…日本と世界に何が起きるのか!?」の中で、歴史作家の高橋克彦は、次のように述べている。

「やはり、ノストラダムスがユダヤ教とカトリックの両方に属しているというのはとても重要な事実だと思いますね。ノストラダムスはローマ法王の即位も予言していますね。若い無名の青年の前にひざまずいて、『あなたはいずれローマ法王になられる方だ』と言っている。ユダヤ教とカトリックの融和を計ろうとしたグループがあったんだろうと僕は推測していますよ。単純な予言じゃなくってね。この人間はローマ法王になると言っておいて、その人間を実際、ローマ法王に祭り上げていく。そうすることでノストラダムスの予言の正しさを認知させると同時に、いつかはユダヤ教とカトリックを融合させていこうとする計画ですね」

つまり、「ノストラダムスの大予言」の広がりを知って、その「利用価値」に気付いた者(たとえば、ローマカソリック教会内のある派閥)が、ノストラダムスに命じて「あの青年の前に行って敬意を表してほしい。あれはローマ法王になる『予定』の人物だから。ただし『依頼主』であるわれわれのことは内緒だぞ」といった具合に、予言の「結果」を先取りし、「捏造」した可能性が考えられるのである。

もちろん「捏造」がすべて成功したわけではあるまい(以下は、高橋でなく、筆者の解釈である)。失敗した例、つまり、ローマ法王になれそうもない青年(カソリック教会が祭り上げにくい、なんらかのスキャンダルを抱えた青年や、病弱で若死しそうな青年など)の前で「予言」してしまった例もあるだろうが、そんなのは歴史の記録から抹消すればいいだけの話だ。「へたな鉄砲も数射ちゃ当たる」のであって、何人失敗しようと、たった1つの「成功例」を派手に宣伝するだけで、予言の信憑性は決定的になる…………まるで 、子供だましの世界だ。

筆者は、こんな「子供だまし」型の予言は行っていない。筆者の「インドネシア石油危機」の予言(ではなくて科学的予測)は、従来の地政学や国際政治学の手法で、世界各国のアカデミズムがタブー視してきた「スパイ工作」や「ロックフェラー一族の陰謀」を考察の対象に加えて、計算してはじき出したものである。ローマカソリックと違って、けっして神秘性を売り物にしてはいないので、基本的には、大学等で国際政治学などを正しく学び、それに加えて、スパイ工作や陰謀の可能性を念頭に置きさえすれば、だれでも実行可能な「予測」である。ぜひ、読者のみなさまにも、「予測」に挑戦されることをおすすめしたい。そして、(以下に述べるような)無意味な、ばかげた「予言・超能力商法」にひっかからない、情報化社会の賢い「情報消費者」になって頂きたい。

●「予言」の商業利用●
オウム真理教の教組の麻原彰晃は、上記の『神々のいたずら』によると、南仏のノストラダムスの資料館に来て、館の職員(司書)に説明を求め、「ノストラダムスの予言では1999年にこの世の破滅が始まると言っているはずだ」と確認を求めたが、もちろん、そんなことは書いていないので、司書は否定した。しかし、麻原は「そんなはずはない」と言い張り、預言者となるべく「決心」を固めたという。

つまり、いままでローマカソリック教会やナチスを含む多くの世界中の権力者が、ノストラダムスの予言が当たるように振る舞ってきた歴史があるのだから、次もだれかがそれをやらねばならない。「大予言」には「目の不自由な者」などと次の「予言実行者」の条件が「指定」されているが、それは片目の視力のない自分ではないか、と勝手に思い込み、「選ばれたる者」としての自覚をもとに、以後世紀末に向けて「予言」に書かれている(と麻原が勝手に信じている)「世界最終戦争」を起こすべく、サリン・テロなど破壊的な行動を起こす凶悪な犯罪集団の道を突き進んでゆくのである。

麻原は幼児期に、片目が見えるにもかかわらず、そして運動も算数も漢字の書き取りも人並み以上にできたにもかかわらず(おそらく、麻原の能力に嫉妬した全盲の長兄の意向で)、むりやり全寮制の盲学校に入れられ、目が見えるのに点字ばかり教えられ、普通の学問は事実上禁じられて、本来の素質を伸ばす道を断たれた、という経緯がある(おそらく、盲学校に行かなければ健康優良児として成長し、全盲の長兄に替わって一家の大黒柱になったであろう)。家族に選ばれなかった者としては、どうしても「自分は神に選ばれた予言者であった」とでも信じなければ生きていけなかっただろうし、だから事実を無視して勝手に信じ込んだのだろう。

反面、麻原は、目が見えるのに盲学校、つまり自分以外の生徒全員が目が見えないに世界にいたため、人をだまして優位に立つクセが付いてしまった。彼は、腹筋を鍛えることで蓮華坐を組んだままジャンプできるようになったが、これを写真に撮り「空中浮遊」などと称して「超能力雑誌」に売り込んだこともある。したがって、予言や超能力に無批判にのめり込むことと、逆にそれらから距離を置いて、それらの本質を客観的に把握し、それらを詐欺商法的に利用して人をだますことの、相矛盾する2つの傾向を持っていたようである。

【以前に「予測的中度判定基準」の項で述べた、麻原の「神戸で地震起きる」という予言だが、「情報源」が判明した。朝日新聞東京版98年7月6日付け朝刊24面の「朝日ジョブ・ウィークリー」の「あの人とこんな話」のコーナーで、日本の地震学の最高権威、力武常次・東大名誉教授が、阪神大震災の数年前から数冊もの著書で繰り返し「神戸付近は危険地帯である」と述べていたという。おそらく麻原は理科系の大卒信者を多数動員して、天変地異に関する学術的な、しかし一般には知られていない予測を述べた論文を掻き集めさせ、それらをカンニングして片っ端から「予言」をし、はずれたら無視して忘れ、当たったら大騒ぎして宣伝する、といった手法を取ったに相違ない。】

しかし、これは麻原だけの問題ではない。マスメディアも同じである。自分で確信を持って誤報を流す場合もあれば、いつのまにか誤報を信じてのめりこんでしまう場合もあるのだ。後者の典型が、冒頭に紹介した「中田選手の単独行動」についての誤報であろう。

が、いまの日本では、マスコミの本質を語るには、やはり前者、つまり「意図的に大衆をだます主体」としてのもののほうが、はるかに重要に思われる。上記の98年の『週刊プレイボーイ』を「ノストラダムス」の記事のぺージから何枚かめくると、「2002年の日韓共催のW杯サッカー」の話題が載っている。つまり、1998年現在『週刊プレイボーイ』編集部は、2002年には世界が平和であると思っているのだ。
(^^;)
彼らはけっして「1999年七の月」ないし「世紀末」にノストラダムスの予言が的中して(空からアンゴルモアの大王が降りてきて)この世の終わりが来るとは思っていないのだ(たしかに、上記の『週刊プレイボーイ』には、99年7月に世界が破滅するとは書いていない。が、それを匂わせる表現は用いている。が、「破滅しない」のなら「大予言」になんの価値もないのは自明の理で、特集記事で大々的に取り上げた以上「破滅」の予言と受け取ったと解釈されても文句は言えまい)。

人をばかにするのもいい加減にしろ!
もしも編集部の意志として「大予言」なんて当たるわけない、と思っているのなら、記事にするな! もし、この特集記事のある号が通常より多く売れたら、編集部内では「やあい、一般大衆のバカどもがひっかかって、雑誌を買いやがった」と、全盲の同級生をだまして悦に入っていた麻原のような笑みをもらし、祝杯をあげるに相違ない。実に悪趣味な世界だ。

●ノストラダムス、W杯に敗る●
が、幸いにして、そうはいくまい。理由はほとんどの日本国民が、2002年W杯はどうすれば成功するのか、と考えはじめてしまったからだ。「日本代表の司令塔は小野か」「監督は3連敗の岡田より、アトランタ五輪で2勝した西野か、ベンゲルがいい」「フランス大会のチケットの販売ルートはひどかった。日韓はもっとちゃんとしないと」「フーリガン対策は……」

筆者はぜひ獄中の麻原に、そして麻原の予言を信じてオウムに入信した信者にも、2002年W杯について聞いてみたい。もし、まともな答えが返ってくるようなら、彼らの信仰は ゆらいでいることになる。

未来に明るい希望や「夢のビッグイベント」が見えているとき、あやしげな「予言商法」が人々をとりこにするのは容易ではない。今回のW杯と、中田や小野(浦和レッズのMFの 成長株。18歳)の活躍は、日本人の心から「世紀末」の不安をかき消してきまった。

●「予言」の正味期限●
したがって、今後「予言商法」で儲けようとする日本のマスメディア業界人は、少なくとも2020年ぐらいまで「正味期限」の持ちそうな「予言」を用意する必要がある。
筆者の知人のさる雑誌編集者が言っていた。

「『予言集』のような『世紀末企画』を出すなら、遅くとも1999年の1月ぐらいまでに出さないといけない。99年7月頃になったら、もう『世紀末商戦』の期間は終わってしまうでしょうから」

読者のみなさん。マスコミの言うことは8割ウソだと思って、まず間違いないですよ。

(敬称略)

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