コソボでの「民族浄化」は

やっぱり「でっちあげ」だった!?

〜統計データに見る「捏造」〜

Originally Written: June 27, 1999
Last Update: July 8, 1999


●統計データが語る「民族浄化」の真実
●ワシントンポストも同様
●大義名分なき空爆
●恥知らずなジャーナリストたち
●「日本軍国主義批判」への教訓
●「謝罪要求」こそ人権侵害
●平和のための「喧嘩両成敗」

●統計データが語る「民族浄化」の真実
以下は、パソコン通信サービスの "NIFTY-Serve"の朝日新聞記事検索によって算出した統計データである。

1999年1月から6月(6月は26日まで)の朝日新聞(朝・夕刊)のすべての記事のうち「民族浄化」「難民」なる語を(1語でも)含む記事が何件あったかを月別に調べたものである。

1999年
______民族浄化____難  民
1月_______0___________48
2月_______0___________60
3月_______8___________73
(1〜24日: __0__________42)
(25〜31日: _8__________31)
4月______34__________250
5月______31__________143
6月______20__________161
(6月は26日まで)

アメリカをはじめとするNATO諸国軍のユーゴスラビア(セルビア人中心の「新ユーゴ」)への空爆は、現地時間 3月24日夜、日本時間25日早朝に始まった(その約3か月後の6月に終わった)。このため、朝日新聞をはじめ日本の新聞各紙は 3月25日夕刊から「空爆」についての報道を開始している。

1999年6月現在(4月以降)今回のNATOによるユーゴへの空爆は、「新ユーゴによる、コソボ自治州内におけるアルバニア人への残虐な『民族浄化』をやめさせるため」のものである、とNATO諸国政府、および日本など他の西側諸国の政府、および報道機関によって説明されている。

しかし、上の表で明らかなとおり、3月25日以前、つまり空爆開始前には、コソボで「民族浄化」が行われていた、という報道は皆無である。これは、いったいどういうわけだ?

●ワシントンポストも同様
しかも、これは日本あるいは朝日新聞に限ったことではなかった。なんと米有力紙ワシントンポスト紙(リベラル・民主党系)も、ほぼ同様の数字を示していたのである(以下も、朝日新聞と同様に"NIFTY-Serve"の記事検索によって、「民族浄化」を意味する英語"ethnic cleansing"を入力して算出した統計データである。米国時間では「空爆」は日付上は日本より1日早く3月24日に始まったが、それまで、つまり23日まで同紙は"ethnic cleansing"をさして重要と思わず、月に数件しか報じていない。朝日新聞が1980年代に「従軍慰安婦」なる語を含む記事を「年」に数件しか載せなかった=この話題をゴミ扱いしていた=ことを想起されたい)。

1999年
______ethnic cleansing
1月________9
2月________6
3月_______38
(1〜23日: ___5)
(24〜31日: _33)
4月_______113
5月________62
6月________38
(6月は26日まで)

●大義名分なき空爆
常識的に考えれば、NATOやアメリカの主張はこうなるはずである。1999年1月〜3月上旬の時点で

「コソボ自治州で、多数派のアルバニア系住民に対して、新ユーゴ全体の多数派であるセルビア人の意を受けたユーゴ政府の軍や警察が、残虐な『民族浄化』を行っているので、われわれ(NATO)は人道的見地からこれをやめるよう、外交ルートを通じて新ユーゴ政府に要求している。が、要求が通らなければ、空爆も辞さない……」

「が、いくら民族浄化をやめるよう声高に求めてもユーゴ政府(ミロセビッチ大統領)が応じないので、仕方なく(3月24日に)空爆に踏み切った」

というのが、ジャーナリストを含むほとんんどの日本国民(および西側諸国民)の一致した見方ではないだろうか。じっさい、日本でも米国でも英国でもこのようの報道されている。

しかし、この論理は成立しない。もしも、アメリカやNATO諸国の政府が、新ユーゴ政府に「民族浄化をやめろ」と要求したのなら、当然、それに関する記者会見等を「派手に」開くはずで、そしてそれが開かれれば、この地域(ボスニアやクロアチアを含む旧ユーゴ、バルカン半島)の安全保障問題が冷戦後常に欧州および全世界の最大関心事の 1つであったという事実をもあわせて考えると、ワシントンポストや朝日新聞や BBCのような有力メディアが「アメリカ政府が民族浄化をやめるよう要求した」といった類の報道を(月に数件しか)しないことなどありえないからだ。

この事実を米国務省やNATO事務局の関係者に突き付ければ「こちらはひそかに外交交渉で要求していたのだが、マスコミが報道しなかっただけだ」という返事が返ってくるかもしれない。しかし、この言い訳も成立しない。

新ユーゴのセルビア人政府は、数年前、旧ユーゴ領だったボスニア・ヘルツェゴビナ共和国で、大量虐殺や集団レイプを含む残虐な民族浄化を行った「前科」があるのだ。それがもし再び行われるなら、「人道」を主張するNATO諸国政府は、国際世論の名において強力な圧力をかけ、一刻の猶予もなくやめさせなければならないはずだ。

もちろん、外交交渉には秘密はつきものだ。かつて、第二次大戦の際、ナチス・ドイツとソ連は、表面上は「反共主義」と「反ファシズム」を掲げて敵対していたが、開戦当初から中盤にかけては「ポーランド分割」に見るごとく、秘密裏に外交交渉を行って共存共栄をはかっていたフシがある(じっさい、第一次大戦後のベルサイユ講和条約で、武器の生産や保有を厳しく禁じられたドイツでは、ナチスが政権に就いたあと技術者をソ連に送って、ソ連国内でドイツ軍用の武器を生産していた)。戦局の終盤においては、ソ連はポーランドの「分割ライン」を突破してドイツに侵攻したが、それは日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に侵攻し満州、樺太、千島、北方領土を侵略したのと同じである(つまり、レーニンが作ったソ連共産主義の根本的な下劣さゆえに日独ともに「裏切られた」のであるが、逆に言えば下劣な裏切りが起きるまでは、ナチスはソ連との外交上の機密を忠実に守ったのである)。

この独/ソのケースと、今回のNATO/新ユーゴのケースは(NATO側の言い分が正しければ)まったく違うはずであり、NATOは新ユーゴの国民に隠さなければならないような、秘密交渉をするはずはなく、むしろワシントンポストや朝日新聞の記者たちが絶対に大きな記事にしなければならないと思うほど、大きな声で、堂々と新ユーゴ政府に対して「民族浄化をやめろ!!」と言うべきなのだ。

そして、このように主張して、その主張が新ユーゴ政府に受け入れられなかった場合に初めて、NATO側には空爆を行えるだけの大義名分がそなわるのである。つまり、ハリウッド映画風に言うと

「民族浄化をやめろ。やめないと撃つぞ。なに? やめない! それなら撃つしかないな」

といった具合である。ところが、ユーゴ側から見ると、今回(99年の「民族浄化」問題)の場合は(空爆前は)一度も「やめろ」と言われていないのだ。99年1月から3月24日までの期間、すくなくともユーゴの庶民は「やめろ」と言われたことを知らない。

朝日新聞などの大新聞社でさえ知らないことを、ユーゴの一般庶民が知るはずはない。西側がユーゴの「独裁者」と呼ぶミロセビッチ大統領は、実は民主的な選挙で選ばれており、その世論調査の支持率の変動はユーゴ国内外のメディアで逐一報道されている。それが証拠には、空爆終了前後に西側のメディアは「空爆による経済の停滞で国民のあいだに厭戦気分が広がり、ミロセビッチの支持率は下がり、野党などに政権奪取をめざす動きが出てきた」といった類の報道をはじめた。もし、ミロセビッチがヒトラーやサダム・フセインのような独裁者なら「支持率」や「野党」などで政権基盤が揺らぐことはないはずだ。新ユーゴはボスニアで残虐な民族浄化を行った、けしからん国ではあるが、けっして(政権交替の不可能な)独裁国家ではない。不幸にして、過激な民族主義者がセルビア人庶民の多数の支持を「民主的に」得て政権を取ってしまった国家なのだ。

そして、このような政治体制の国である以上、NATO諸国は、もし新ユーゴ政府になにごとかやらせたいのなら、また、やめさせたいのなら、ユーゴの庶民にまで届くように大きな声で堂々と要求すべきであり、秘密外交でこそこそ要求してはいけないはずだ。じじつ、3月25日の空爆開始後、NATO軍(米軍)首脳はユーゴのテレビ局に対して「ユーゴの庶民が民族浄化の残虐性を理解できるように、1日数時間西側のニュースをノーカット、無修正で放送しろ」と要求した。そして、ユーゴ政府およびユーゴ国営放送が要求を拒むと、NATOはただちに放送局を空爆した。この一事をもってしても、99年1〜3月上旬にNATOが公開の場でユーゴに「民族浄化をやめろ」と述べ、かつそれを朝日新聞(を含む主要メディア)が記事にする、という事実がなければNATOの空爆の論理が成立しないことは、明らかである。

どんな個人でも国家でも政府でも「やめろ」と言われていないこと、とくに「やってもいないこと」をやめることはできない。筆者は煙草を吸わないのだが、筆者に向かって禁煙しろと言われても、筆者には打つ手がない。今回の空爆をめぐってNATOがユーゴにやったことは、煙草を吸わない人を殺してその人の口に吸い殻を差し込んで「こいつが煙草の煙を撒き散らすのをやめないから殺した」と言っているようなものなのだ。

●恥知らずなジャーナリストたち
よく、新聞でも他のメディアでも、マスコミ業界では取材の基本は「裏取り」、つまり裏付けを取ってそのニュースがほんものかどうか、確かめること、であると言われる。

ウソだ。

「民族浄化をやめさせるために空爆を開始した」というNATOの記者発表に対して「裏取り」をしたジャーナリストがいるのか?……おそらく、西側諸国には1人もいないだろう。もし「裏取り」を試みれば、NATO側の主張を裏付ける証拠は何も出ないはずだからだ。

一部の恥知らずなジャーナリストどもは「空爆開始前に撮影した虐殺(民族浄化)の証拠」と称するものを、空爆開始後になって急に西側の報道機関に持ち込んで公開し、「空爆開始前はユーゴ軍の取締りが厳しくて持ち出せなかった」などと言い訳をしている。

しかし、ことはユーゴ国民全体、セルビア人全体の愛国心が民族的アイデンティティにかかわる大問題である。「開始前」に持ち出せなかった( ?)ような、疑わしい証拠が少々あったぐらいのことで「国家の威信を根本から覆しかねない大犯罪の証拠」とするのは、無茶もいいところである。

おそらく、数年以内に、ミロセビッチなどの新ユーゴ政府の権力者たちを「戦犯」として裁く国際法廷なるものが開かれるであろう(すくなくとも、そういう「イベント」を開けという国際世論は起きるであろう)。しかし、前回のボスニアのほうはともかく、今回のコソボの件について、ユーゴ政府関係者が「有罪」を認めることなどありえない。だれが見ても「証拠不十分」ではないか。もし、これが殺人事件の裁判で、被告の弁護士がこの程度の状況証拠で被告に「みんなが有罪と言っているのだから、有罪と認めなさい」と迫ったら、おそらく文明国ではその弁護士は弁護士でいられなくなるだろう(そんなのは弁護活動ではなく「スパイ活動」だ)。

(たしかに、前回の民族浄化、つまりボスニアにおける集団レイプ等については、新ユーゴ政府の罪状は、かなり明らかになっている。しかし、だからといって「前回がそうなのだから、今回もそうだろう」といった、安易な思い込みでユーゴを断罪することは、平和主義者や人権運動家がもっと忌むべき、人権侵害であり、偏見に基づくセルビア人への「人種差別」である。筆者は人種差別は大嫌いだ。国家や民族全体の人権にかかわる問題なのだから、事実の糾明は慎重になされねばならず、確たる物証が出ない場合は「証拠不十分で不起訴」とする覚悟が必要であることは、法律家であればだれでも納得することであろう)

●「日本軍国主義批判」への教訓
しかし、被告ユーゴ側がどんなに理性的に、原告NATO側の持ち出す証拠のいい加減さを指摘しても、国際世論、とくに西側のマスメディアは、それを認めず、コソボを追い出されて辛い目にあったアルバニア系住民の「衝撃の告白」や「悲惨な証言」をほじくりだし、繰り返し報道するであろう。

もちろん、コソボ難民、つまりアルバニア系住民がコソボを離れて流浪し、悲惨な目にあったのは事実だし、コソボ領内からアルバニア系住民の遺体がある程度の数見つかっていることも確かだろう。が、このような断片的な「事実」を並べ立てて西側国民の感情をヒステリックに煽っても、それは「裁判」などにおける事実関係の認定とは、まったく関係ないのである(第二次大戦後、朝鮮人やフランス人の職業売春婦が、戦時中、日独の侵略軍の軍人を客に取ったことで戦後同胞にいじめられたからといって、日独両国政府にまったく責任がないのと同じことである。ちなみに「従軍慰安婦」はこのような売春婦とは別に存在するはずで、筆者は従軍慰安婦問題では中立の立場で真相究明に期待している)。

民族浄化による難民の大量発生は、NATOの空爆開始後に起きている。たとえ「通説」にくみして「NATOの空爆から逃れるために難民たちは流浪したのだ」というユーゴ政府の主張が間違っているとの立場に立つとしても、「流浪」の始まった時期が「空爆開始後」である、という事実は動かない(「難民は空爆を逃れるために流浪した」というユーゴ側の主張にはかなりの説得力がある)。空爆開始後あるいは空爆終了後にコソボでみつかったとされるアルバニア人多数の遺体が「ほんもの」であったとしても、殺したのがユーゴ側の軍や警察であるという保障はどこにもない(むしろ、西側のスパイ機関の手先や、西側の支援をある程度受ける立場にある、コソボの反セルビア勢力「コソボ解放軍」KLA が内ゲバや性欲のはけ口処理=強姦の被害者をまとめて葬ってから、そこへ西側のメディアや軍関係者を「招待」した可能性も大いにある)。

とにもかくにも、空爆開始「前」にはなんの証拠も出ていないのである。逆に、空爆開始後の混乱の中では、多くの死体が手に入りやすくなることもあって、「証拠」を創造することはきわめて容易になる。基本的には、空爆開始後に「発見」された証拠は、すべて無効と考えるべきである。

空爆開始前にもコソボ問題はあるにはあった。しかし、それは「自治権」の問題にすぎなかった。アルバニア系住民が90%(残り10%がセルビア人)を占めるコソボ自治州で、(すでに西側の支援を得ていたかもしれないKLA らの)アルバニア系民族主義者が独立を主張したことに対して、ユーゴ政府が「コソボはセルビア人発祥の地」だとして反対したため、EUや米国などの西側諸国は、コソボの自治権を強化するといった「足して 2で割る」式の解決方法を提案して、交渉していたのだ。

たしかに、アルバニア人とセルビア人の間に不穏な空気はあったかもしれない(ただし、それはKLA や西側のスパイが醸成した雰囲気かもしれない)し、また、危険を察知して逃げだす、難民と呼べそうな人々の動きも、おそらくあったであろう。

しかし「民族浄化」の名に値する、政府による組織的な強制連行や大量虐殺はまだ始まっていなかった。すくなくとも、西側のいかなるメディアによっても報道されていなかった。だから、朝日新聞に「民族浄化」という言葉を本文中に含む記事がないのだ。

もし、CIA等の西側のスパイ機関が空爆開始前に民族浄化の証拠をつかんでいたのなら、これ見よがしに見せびらかすはずだ。なぜなら、空爆の正当化、とくに米国民世論の支持を取り付けるのに有効だからだ。が、結局、開始前にはなんの証拠も出せなかった。ガセネタを出してミロセビッチに反証されれば、空爆そのものが不可能になる(そして巡行ミサイルの2000年問題の解決も不可能になる)からだったに相違ない。

証拠はない。すくなくとも、不十分なものしかないことは間違いない。

そう遠くない将来に、ユーゴ政府関係者は国際法廷、あるいは国際世論、国際外交の舞台において、今回の民族浄化に関して「謝罪と反省」をすることを求められるだろう。しかし、いやしくも一国、一民族の指導者たる者が、こんないい加減な証拠に基づいて、国や民族を代表して謝罪することなどありえない。

賢明な読者の皆様は、もうお気付きだろう。このユーゴの立場は、第二次大戦後一貫して日本が強いられてきた立場とまったく同じなのだ。

ここから導きだされる教訓は明白だ。それは「国家は絶対に謝罪してはいけない」ということだ。

●「謝罪要求」こそ人権侵害
いい加減な証拠と集団リンチで敗戦国に謝罪を要求することこそ、非人道的であり、人権蹂躙だ。もし、「裏取り」をしないいい加減なメディアの報道を真に受けて軽々しく国家が侵略や虐殺について謝罪して、数十年後に「あれは外国のスパイによるでっちあげだった」と判明したら、どうしてくれるんだ。

日本の「謝罪屋さん」のなかには、反省しすぎて、侵略や虐殺を連想させるから国旗も国歌も変えよう、などという者までいるが、もしあとになって歴史学者の調査で「でっちあげだった」という証拠が出たら、どう責任を取るつもりなのか? 自分の「雇い主」に頼んで、その学者を殺すのか脅すのか買収するのか、それとも、自分の主張に反する証拠を完全に湮滅しくつしたという自信でもあるのか。そういう「自信」があるのなら、そっちのほうがよほど問題だ。

国家間で意見の異なる史実などは、そう簡単に結論が出るものではない。国内史の問題ですら、たとえば(ケネディ暗殺事件などと違って)いまや政治的影響は皆無だから真相究明をためらう理由はないと思われる「本能寺の変」でさえ、事件発生から 400年経った20世紀末においても、いまだに何十とおりもの解釈が可能で真相は薮の中、いわゆる『羅生門』状態である。昨1998年にテレビ朝日で放送された従軍慰安婦問題についての討論番組で、日本に留学しているある韓国人青年が「この問題は韓国ではもう決着が付いている歴史的事実なのに、なぜ日本ではいつまでも議論するのか」と述べていたが、これは世界中の歴史学者の「学問の自由」を侮辱する発言である。歴史学に限らずあらゆる学問では、偉大な研究者の出現で何十年か何百年かに一回必ず常識が書き替えられてきた。いわゆる「コペルニクス的展開」である。まして、1999年 2月の時点で世界中のいかなるジャーナリストも証拠をつかんでいなかったユーゴのコソボにおける民族浄化の「真相」など、そう簡単にわかるわけがない。

これは刑事事件ではない。スパイ工作と世論操作と、国家の歴史観と民族のアイデンティティがかかった問題なのだ。

●平和のための「喧嘩両成敗」
筆者は、いかなる理由であれ、国家が国家に謝罪を要求する行為を非人道的な人権侵害行為として国際法で禁止すべきであると考える。

その理由は、1945年の日本にせよ、1999年のセルビアにせよ、国家というものは戦争に(勝っているあいだはどんな残虐行為でも許されるが)ひとたび負けたら最後、戦勝国のスパイ工作による証拠湮滅・捏造から国際的世論操作まで総動員されて、徹底的に悪者にされて屈辱的な謝罪をさせられる(事実でない犯罪まで「自白」させられる)ということ(これは第二次大戦になって突然誕生した国際慣習だが、なぜかベトナム戦争では適用除外になっている)になると、

「勝てばいいんだろ。勝つまで戦争をやめなければいいんだろ」

という国が出てくるかもしれないからだ。

まさか、セルビアがアメリカやNATOと戦って勝てるわけがない…………などと侮ってはいけない。ベトナムはアメリカに勝ったではないか。しかも、現代の戦争は正規軍同士の大がかりなものばかりではない。テロという形の戦争もある。もしも、アメリカやNATOが「空爆に負けた」ことに付け込んでセルビア人の民族的な誇りを踏み躙り、侮辱し続けるなら、セルビア人の一部は過激派となって、手製小型爆弾から毒ガス、核兵器、生物兵器まで使ってアメリカを屈伏させようとするかもしれない。

しかも、こういう戦いになると、豊かな国より貧しい国、人権の尊重されている国より尊重されていない国のほうが強い。前者は、ぜいたくな生活や国民1人の生命の価値など、政治家が粗末に扱うと政治生命に直結するような「失いたくないもの」がたくさんある。ところが、後者には、なんにもない。「どうせ生きてたって貧しいばかりで楽しくない」などと考える若者が、神風特攻の「自爆テロ」でアメリカなどへの勝利を夢見る、といった事例は実際に中東で何度もあったことだ。

国家間の「謝罪」は屈辱による怒りやテロの動機を作ることにはつながっても、国家間の平和にはまったく貢献しない。だから、たとえば、もし戦後の日本が、韓国に過去の植民地支配について一度も謝罪しなかったとしても、それによって韓国の庶民が失うものはひとかけらもない。

ちなみに、韓国政府が日本に謝罪を要求し続けた最大の理由は(日韓に真の平和と友好を築くためなどではなく)韓国を建国した連中(建国当時の官僚機構)が、実は民族主義者でもなんでもなく、大日本帝国朝鮮総督府の管理や軍人・軍属、つまり日本の支配にもっとも忠実な者たちであった、という「原罪」を隠蔽するためである(朝鮮人民を支配するテクニックを手取り足取り日本人の上司や先輩から教えてもらったお陰で権力の座についた韓国人が、その恩を忘れて日本人に謝罪を求めるなど、にんげんとして絶対に許されない恥知らずなことだ)。彼らは嬉々として日本語を学び、エリート意識をもって帝大(東大)や陸軍士官学校に通い、そして誇りをもって「天皇の官吏」となったことは、帝大OBらの発言などから見て、ほぼ明白である(韓国の独立は、形式上も実質上も、民族独立運動とはほとんど無関係で、大日本帝国なる巨大官庁の、単なる「分割民営化」の結果にすぎないのだ…………しかし、こんなこと、べつにいまの韓国国民のナショナルアイデンティティにとっては大したことではあるまい。五輪を開催し、粗鋼生産量と大学進学率で日本を上回るほどに発展した偉大な民主国家・韓国にとって、こんな過去のエピソードの1つや2つ、隠そうがばれようが、どうでもいいではないか)。

戦国時代、日本の武士階級は「喧嘩両成敗」なる制度を創出した。これは、戦国大名が家臣団を統率するために、理非を問わず、私闘(喧嘩)の当事者双方を等しく罰する(あるいは、等しく罰さない)という刑事制度である。

一見すると、喧嘩をしかけられたほうには迷惑千万な、不公平な制度のようではある。が、なぜ「理非を問わず」つまり、もめごとの原因を糾明してどちらが正しいか決める、という「裁き」を戦国大名がしないのか、というと、それは治安維持、つまり「平和」のためである。家臣たちは、そのまた家臣、つまり実践に投入できる兵力を抱えており、「裁き」に不満を抱いた場合は「家臣の家臣」たちを率いて挙兵して、主君である戦国大名を襲う(最悪の場合は滅ぼしてしまう)恐れがあるからである。

この戦国大名と家臣の関係は、江戸時代の将軍(幕府)と諸大名の関係においても、本質的には変わらず継続された(諸大名もまた家臣という名の武力を持っていた)。だから、「喧嘩両成敗」の制度も江戸幕府に引き継がれた。江戸幕府は、これを大名統制の大原則として維持した。が、ただ一度、1701年の江戸城松の廊下における浅野内匠頭による吉良上野介への刃傷沙汰のときだけ、「うっかり」この原則に合わない裁きをし、浅野側だけに厳しい処分を下した。案の定、浅野側の生き残った「武力」、すなわち赤穂浪士らが牙を向き、幕府の裁きに異を唱えて、仇討ちと称する「テロ」を敢行し、吉良の首を取ってしまった。この有名な事件は、真の「平和主義者」は歴史の解釈においてどうあるべきか、を教えてくれる。

セルビア人は赤穂浪士より強いぞ。

(敬称略)

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