井上統計仮説はなぜ有効か

Last Update: Dec. 14, 1997(微調整)
Originally Written: May 24, 1997

●地震予知の「本筋」
●統計学の信頼性
●井上「統計」仮説の登場
●運命の特異日
●予測的中!
●井上仮説の利用法(「起きない日」をうまく使え!)
●われわれは確率的に生きている

  西暦年月  前との間隔  通称
 1633年3月   ---   寛永小田原大地震[小田原城下壊滅。周辺も被害甚大]
 1703年12月  70.8年 元禄小田原大地震[元禄関東地震。関東大震災と同等]
 1782年7月  78.5年  天明小田原大地震[小田原城下壊滅。周辺も被害甚大]
 1853年3月  70.7年  嘉永小田原大地震[小田原城下壊滅。周辺も被害甚大]
(1855年10月  73.1年  江戸安政地震[局地的だが江戸の被害甚大])
 1923年9月  70.5年  大正小田原大地震[関東大震災のこと。京浜地方壊滅]
 1997年6月?  73.8年 平成小田原大地震?か東京大地震[人類史上最大の震災]
 1997年12月?  74.3年 同上
 1998年6月?  74.8年 同上
 1998年7月?  74.9年 同上

上の表は、江戸時代以降南関東を襲った大地震のリストである。地上で揺れが最大の地点が震度6以上、または震源のエネルギー(地震の規模)がマグニチュード7前後かそれ以上のおもなものだけを並べたものである。地震学的な詳細な情報は省略するが、どんな阿呆が考えても、東京には約70年に1回必ず大地震が来るに決まっているのである。

前の大地震(関東大震災)からすでに74年近く経っているので、実は東京(南関東)は、そろそろ大地震に襲われる「義務」を果たさなければならないのである。

地震予知の「本筋」
地震は地下の地質構造にプレートの動き(マントル対流)による「ゆがみ」がたまって、それが、あるときバネのように元に戻るとき(プレート型)、あるいは活断層が動くとき(直下型)に起きる。

したがって地中に観測機器を埋めて「ゆがみ」など物理現象を測定していけば、いつかは予知できるようになるはずだが、残念ながら予算や社会的制約(東京の地下は工事などの余計な振動が多くて、よほど高性能な地震計でも開発されない限り、まともな観測ができない)。

となると、地震直前に見られる生物の異常行動や空の色の変化など、周辺の現象から予知してはどうかと思うが、地震学者はみな物理学者なので、このような現象は「地震学の本筋からはずれる」ことを理由に、あまりやりたがらない。因果関係のはっきりしない、本来無関係の現象同士(生物現象と物理現象)を比較して予知するなどもってのほか、というわけである。

統計学の信頼性
ところが、「本来無関係の現象同士」を比較して予知することを、実はわれわれは科学的なこととして受け入れているのだ。

読者のなかには「経験者」もおられるだろう。数年前、大学入試センター試験で、物理の平均点が異常に低くなったとき、大学入試センターは、なんと物理と無関係なはずの英語や数学などの成績の「統計」をもとに点数の修正を行ったのである。

「物理の成績と英・数・国の成績には因果関係があることが統計的にわかっており、物理を選択する受験生は、一般に地学などを選択する受験生より優秀であることがわかっている。よって、平均点が低くなったのは受験生のあたまが悪いからではなく、問題が悪いのだ。よって、過去の膨大な統計に基づいて関数を作って、物理の成績を適切に修正する」ということであった。

それなら、そもそも物理の試験はしなくてよいではないか、と言いたくなるが、なんとこの論理で、本来必要なはずの試験を堂々と「省略」している学力検定試験がある。

世界的に英語力測定の目安として使われているTOEICでは、listeningとreadingの試験しか行わないが、その理由は「speakingとwritngは他の二つと密接な相関関係にあることが統計的にわかっているので、テストする必要がない」というものである。

そこで、仮に地下の物理現象の観測データが不十分でも、地震が起きたときの(一見あまり関係なさそうに見える)他の現象、たとえば気象や、太陽・月・地球の間の重力の変化や太陽風などの天文学的現象を観測し、そのデータを膨大に集めて「統計学的に」処理すれば、「こういう気象条件、月の位置のときには地震が起きる」と予測できるようになるはずである。

本誌の読者には理科系の人が少なくないはずなので、「複雑系」や「カオス理論」、あるいは「かなり複雑な現象でも、実はシンプルな二つの関数を入れ子状に重ねただけで説明できることが多い」といった係数工学の考え方を知っている人には、あまり違和感のない説明だと思う(筆者は文科系なので、もっとうまい説明をご存じの方はメール等でお教え願いたい)。

井上「統計」仮説の登場
科学技術省の元審議官で、航空機事故対策の専門家である井上赳夫氏は、永年事故のデータを見続けるうち、どうも「航空機事故や大地震などの起きやすい日付(群)と、逆にほとんど起きない日付(群)がある」ことに気が付いた(たとえば、94年のロサンゼルス大地震と95年の阪神大震災はともに1月17日である)。そして、気温、水蒸気圧、海流、ジェット気流、重力異常、太陽・月・地球の間の重力、太陽風、電離層の状態、太陽の黒点活動の盛衰などの観測データを(不十分ながら)かき集めて統計学的に検証し、大地震や大事故の起きやすい「事故災害の特異日(圏)」なるものを仮説として提起した。

さらに、3年前(94年11月3日)に日本と反対側の地上(地球の裏側)で皆既日食が観測されたとき、日本列島の九州、東海、伊豆半島、南関東などの地震エネルギー(ひずみ)のたまった地域が、太陽と月によって通常よりはるかに強い引力両側から引き絞られ、痛めつけられていることに着目した(この「痛められた」地点を結んでできる線を「日食裏側中心線」といい。、それを地球の反対側に延長すると、皆既日食の見えた地点の線である「日食中心線」になり、両者をあわせれば地球を一周する円周になる。今年3月9日には日本でも日食が観測されたが、この「日食(裏側)中心線」は日本を通っていないので関係ない)。

これにもし、新月、夏至、冬至など(いずれも重力等が強まる)などの要素が加われば、それが「引き金」となって大地震、つまり東京大地震(や東海地震)が起きるだろうと推定した。

運命の特異日
そして、東京大地震の起きる「運命の特異日(圏)」として、

97年6月1〜9日頃(6月5日の新月が中心)
97年12月25日〜98年1月2日頃(12月30日の新月が中心だが、冬至も近い)
98年6月22日〜30日頃(6月24日新月、夏至近い)
98年7月17日〜31日頃(7月23日新月)

の4つに絞り切り、「これ以降はほとんど起きない」と推定したのである(本当は,4つどころかもっとたくさんあったが、これ以前のものはみな無事に通過してしまったので、4つなのである)。

予測的中!
井上氏はこれを本にまとめて出版した(青春出版社『「偶然」の真相』1996年8月刊)。 筆者は、井上仮説を検証すべくこの本を買って、この本が出た(脱稿した)あとの事故や地震を井上氏の「特異日カレンダー」にあてはめてみたところ、去年夏のアトランタ五輪直前の米TWA機墜落事故や、11月のインドにおけるサウジ旅客機とカザフスタン貨物機の正面衝突事故(いずれも死者数百人)が井上氏の「事故災害特異日」に、予想どおりに起きている。

また、2月末頃〜3月上旬に井上氏が特に指定した地震特異日圏に伊豆半島群発地震、3月下旬〜4月上旬に指定した地震特異日圏にも鹿児島県川内市周辺の震度5強を含む群発地震が起きており、これらも的中した(ただし、5月13日の川内市の震度6の地震は地震特異日でなく、通常の事故災害特異日で起きた)。

井上仮説の利用法(「起きない日」をうまく使え!)
もちろん井上仮説は物理現象の観測ではなく気象などの統計に頼っているから「地震学の本筋」ではなく、地震学会もまだ認めていない。しかし、学会が認めるほどの統計データが揃うのを待っていたら、その前に大地震が来てしまうであろうから、この際仮説でも頼らざるをえないのである。

私はいままで、多くの東京大地震の起きる日に関する予測(学説)を目にして来たが、いずれも「明日起きても不思議ではない」といった類の予測であった。「明日…」と言われると、日々勤めなどに追われている都会人は、ほとんど何もできない(仮に「運命の特異日」であっても、上司に命令されれば出勤しないわけにはいかない)。

しかし、井上仮説はわれわれに「起きない日」というのを教えてくれている。ならば、その安全な期間を利用して、わずかでも対策が打てるではないか。これが井上仮説の、他の予測よりすぐれている点である。

われわれは確率的に生きている
もちろん「安全な期間」でも1%や0.1%ぐらいの危険はあるだろう。「それ見たことか、明日にも来るかもしれないのだから、対策を打つ暇はない。あきらめるしかないぞ」という声が聞こえてきそうだが、その考えは社会的に見て間違っている。

たとえば、昔の日本のプロ野球には、「2ストライク後は99%以上の確率で流し打ちをするので、ライト線にはほとんど打球が飛ばない」という奇妙な左バッターがいた。対戦相手の監督は、その場面が来ると必ず外野手の守備位置を左にずらし、ライト線を無防備にする。

このとき監督は1%ぐらいの確率でライト線に打球が飛ぶと思っているが、それは無視している。なぜなら、打つべき手を打たずにヒットを打たれて、もし大事な試合を落としたら一生後悔するからである。そして、万一ライト線に飛んだときは「あきらめる」と腹をくくることができる。現代社会で「あきらめる」ことが道徳的に許されるのは、こういう場合だけだ(だから、世界中のすべての国は、どんなに世の中が静穏な時でも軍隊や警察や消防隊を保持している)。

もはや東京大地震の確率は、「宝くじに当たる確率」などとは根本的に違う。「巨人の松井選手に甘い球を投げればホームランを打たれる確率が高い」という意味での「確率」なのだ。われわれは、これからは逃げられない。

仮に政府などの指導者が、かなりハードな地震対策を打って、万一大地震が来なくても、対策費が「税金の無駄遣い」と言われることはない。逆に、首相や都知事や社長や学校長や一家の長が、東京に住んでいながらなんの対策も取らず、それでも奇跡的に地震が来なかったら…………たとえ来なくても、このような人の上に立つ立場の者たちの無責任な態度は、十分に軽蔑に値する。阪神大震災と異なり「まさか来るとは思わなかった」という言い訳は通用しまい。

仮に「運命の」その日に遭遇しても、それは不幸ではない。ただ、いままでが異常に幸運だっただけなのだ。だから「我が身の不幸」を嘆いている暇はない。 <P> われわれは生きなければならない。それも、確率的に、いやなケースも計算しながら、生きなければならないのである。<BR>       


      


まだ「井上統計仮説」を信じられない方は、
米国防省なら、どうするか?へお進み下さい。

「傾向と対策」を急がれる方は、
確実に起きること、不確実に起きることか、
または
できる対策、できない対策へお進み下さい。


 

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